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創立当時の校舎(1924)
松山高等商業学校時代の授業風景
久万ノ台陸上競技場
樋又キャンパス
79,000
1963年 商経学部経済学科 卒
株式会社愛媛新聞社
取締役相談役(取材当時)
野本 武男 さん
NOMOTO Takeo
記者に憧れて新聞社を受験すると、「愛媛新聞」紙が配られ、どの部分でも任意に選んで書くようにと作文が出題されました。「人の行く裏に道あり…」と考え、記事ではなく広告を取り上げて書いたところ、そのためか(記者希望だったのに)広告要員として採用されてしまいましたが、これが私の社会人としてのスタートとなりました。
大学は、クラブ活動(空手部)で日々疲れ切って帰り、勉強する余力は残っていなかったので、低空飛行のまま何とか卒業だけはさせてもらったようなものでした。ビジョンと言った気のきいたものはありませんでしたが、ただ、どんな苦しみでも耐えてみせるぞ、という気概だけは持っていました。
空手の練習は、苦痛に抗してどれだけ耐えられるかが基礎になるので、その点だけは誰にも負けないぞと自らを鼓舞し続けてきました。今では、バカの一徹も悪くないなと思っています。
ビジネス界で活動するには、「三実」はいずれも欠かせない重要な要素です。特に、「真実」や「誠実」を標榜する大学は多いですが、「実用」と言ったロマン色のない訓言はとても貴重だと思います。
創立100年を迎える松山大学ですが、これからも、骨がましくても頼りになる実務者を輩出し続ける大学であることを期待しています。
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1999年 人文学部英語英米文学科 卒
三井住友海上火災保険株式会社
土佐 礼子 さん
TOSA Reiko
松山大学卒業後、三井住友海上(当時:三井海上)に入社し、女子マラソン選手としてキャリアを積みました。2001年エドモントン世界選手権銀メダル、2004年名古屋国際女子マラソン優勝、2004年アテネ五輪5位入賞、2006年東京国際女子マラソン優勝、2007年大阪世界陸上銅メダル、2008年北京五輪に出場するなどし、引退後はアドバイザーとして後進の育成にあたるほか、ゲストランナー、講演会などを通じ走る楽しさを発信しています。
松山大学では英語英米文学科に在籍していました。英語はそれほど得意ではありませんでしたが、友人たちと楽しい時間を過ごすことができました。課外活動では陸上競技部に所属し、大学3年生の時に先輩と共に出場した愛媛マラソンで優勝しました。これらの経験を通して、人間力を磨くことができたと感じています。 在学中は、「素直さ・謙虚さ・感謝の気持ち」を大切にした4年間でした。そのころの人と人のつながりや縁が、今も人生を豊かにしてくれています。 陸上競技では、高校卒業後に実業団に進んだ選手がどんどん結果を残す中、羨ましいと感じることもありましたが、大学時代、焦らず地に足つけて毎日を過ごしたことが結果に繋がりました。
校訓「三実」は、社会人になった時の行動指針として常に心にあります。私は大学卒業後、マラソンを通して多くの方に応援していただきました。応援していただくことが、最後の頑張りに繋がりました。人はひとりで生きていくことはできません。引退後もこの校訓三実を胸に歩んでいきたいと思います。
後輩たちが全日本大学女子駅伝で日本一を成し遂げてくれました。大西監督が常に言われている「松山大学だからできること」「地方だからできること」がまだまだあるはずです。地域に愛され、「松山大学に来て良かった」と実感して社会に羽ばたく人材をこれからも育て、卒業生が誇りを持つ母校であって欲しいです。
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2011年 人文学部社会学科 卒
株式会社オサレカンパニー
広報部 広報
安達 舞 さん
ADACHI Mai
就職を機に上京し、一度の転職を経て2013年に現在の会社へ入社しました。未経験のエンタメ業界でしたが、会社の立ち上げ期に携われる機会はそうないと思い、飛び込んだのがきっかけです。様々な業務を経験させてもらったのち、2016年からは広報・PR業務を担当しています。
大学時代は良くも悪くも自由が多いため、全ては自分の行動次第で変わるという事を意識しながら過ごしました。何か新しい事に挑戦したり、環境を少し変えてみたりする事が楽しくて、「今(大学4年間で)、ここ(松山)でしかできないことをやる」が自分なりのテーマでした。
多くのことを学びましたが、特に、インターンシップ活用の講義で「社会人は毎日楽しくて仕方がない。早く皆にもこの楽しさを知ってもらいたい」と語られていた講師の方の言葉が今でも印象に残っています。 「三実」は、長年語り継がれる校訓でありながらも、現代社会においても大事な教訓として色褪せていない点が素晴らしく、社会人になった今でも心に響く部分が多くあります。本学卒業生として、今後も胸に刻みながら生きていきたいと思います。
松山大学は、100年という歴史を感じさせないくらい、常に新しい事にチャレンジしているイメージがあります。創立100年、さらにその先110年、120年と新しい挑戦が続いていくことを楽しみにしています。今後ますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。
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2012年 薬学部医療薬学科 卒(一期生)
日本赤十字社
松山赤十字病院
宮岡 羽純 さん
MIYAOKA Hasumi
大学までずっと松山で過ごしてきたこともあり、恩返しをしたいという思いから地元で就職しました。また、多職種協働のチーム医療の中で薬剤師として力を発揮したいという思いがありました。
入学当初は、祖母が看護師として長年病院に勤めていたこともあり、病院に就職できたらなと漠然と思っていた程度でしたが、病院・薬局での実習や先生からの情報提供、学生同士での情報交換などを通して、少しずつ自分の未来について具体的に考えるようになりました。
特に研究室に配属となってから、あいさつや礼儀など人と接する際の基本的な部分について改めて学び、その重要性に気づくことができました。就職後、患者さんや医療スタッフなど人と接する機会は多く、良好な関係性を築くためのコミュニケーションの基本であるといつも感じています。 「三実」は、社会人としての自分のあり方を考えるにあたり、学生時代よりも深く感慨を覚える校訓です。薬剤師には、常に新しい情報を得ながら薬学を究め、仕事に生かし、患者や医療スタッフと誠実に向き合っていく姿勢が必要です。まさに「三実」に示されている態度をこれからも持ち続けたいと思っています。
松山大学は、90余年という歴史と伝統を継承しながらも、2006年には薬学部誕生、2016年には新キャンパスオープンと進化を続けている大学であると感じています。全国で活躍されている多くの先輩方が、松山大学での思い出を誇らしく語られるように、これから卒業される皆さんもずっと誇りに思えるような大学としてますます飛躍していくことを期待しています。
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2016年 経済学部経済学科 卒
株式会社ウィルグループ
トライアルオファー部 部長
松井 秀樹 さん
MATSUI Hideki
弊社には、年1回開催の全社員対象の公募制社内ビジネスコンテストがあります。そのビジネスコンテストでグランプリを取り、実際に事業としてスタートしたというのが現在の仕事に至る経緯です。数ある企業から株式会社ウィルグループを選択したのもこのビジネスコンテストが最大の要因でした。
1、2年生の頃は、仕事と遊びばかりでテスト期間しか学校に現れないような学生でした。3年生くらいから社長になりたいという夢が明確になり、それに向けて勉強するのに大学という環境を使わないのは勿体ないぞと気付きました。図書館に籠ったり、経済学部でしたが経営学部の講義を受講したり、教授には事業計画書を見せたりと松山大学の資源を思う存分活用しました。
やりたいことを勉強するのに、大学は最高の場所だと気付けたことが1番の学びです。教授は、聞けば必ず答えを返してくれるその道を極めた専門家であり、講義以外でも沢山の機会を提供してくださいました。 自分の捉え方次第で、どんな人も応援者となることに気付けたことは貴重な経験です。
「三実」は、在学中に限らず、より良く人生を生きるために必要な言葉だと思います。「真実」:大学生になって沢山の情報が入ってきますが、その奥にある真実を知る、知ろうとすることは情報社会の昨今では大切だと感じます。「実用」:講義でも普段の生活に活かせる内容は多く、活用してみることで本当の習得になると思います。「忠実」:立場や地位に限らず、人としてどうなのかという目線は、何をする時でもとても大切だと感じます。
これから100年、その先に続いていく松山大学には、今よりも更に誇れる大学になることを期待しています。今でも四国では誰もが知る有名大学であり、誇らしい実績も多くありますが、今後は、全国規模で有名な大学になって欲しいなと思います。私も、輝かしい功績を残し、松山大学を有名にする一人になれたらと思っています。
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2004年 経営学部経営学科 卒
学校法人松山大学
経営学部経営学科准教授
麓 仁美 さん
HUMOTO Yoshimi
松山大学を卒業後、神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期課程・後期課程を修了し、博士(経営学)を取得。現在は母校松山大学で教鞭を執っています。
大学時代は、ただ漠然と、専門性を高めたいと思っていたのと、結婚・出産を経ても働き続けられる職業に就きたいと考えていました。学者を志すために大学院に行こうと決めたのは、4回生になるかならないかの時期だと思います。
大学生活では、「自由」の素晴らしさと怖さを実感しました。大学では自由な時間がぐっと増えます。目標ややりたいことが見えていれば、その時間を使って打ち込むことができますが、それが見つけられなければ、貴重な時間を無駄に過ごしてしまうことになります。高校までは、やるべきことをある程度学校や先生、親が決めてくれていましたが、大学では授業から自分の将来に至るまで、全て自分で選択しなくてはなりません。 選択肢の「自由」、時間の「自由」…毎日直面する「自由」を通して、自分の人生に対する責任を学んだように思います。
正直、大学在学中は校訓「三実」について考えたことがありませんでした。しかし、大学院に進学し、研究や調査を行う中で、「三実」の重要性に気付かされました。研究では「真実」が大切であり、調査を行う上では「忠実」が欠かせません。また、調査で見出された結果は、「実用」に基づいて、社会に還元していく必要があります。どの職業においても、「三実」は根幹にあるものかもしれません。私と同じように、社会に出てからそれに気づく人は多いと思います。
100年を超えて続いていく松山大学ですが、今と変わらないでほしいと思います。学生と教員との距離感やほのぼのとした雰囲気、図書館や研究室の充実した環境など、他の大学と比較してみても、松山大学には良い伝統が残っていると思います。時代の変化に対応するエネルギーを持ちながらも、そういった良い伝統を守り続けてもらいたいです。
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2001年 経営学部経営学科 卒
株式会社愛媛朝日テレビ
営業局営業部副部長待遇
矢野 勝嗣 さん
YANO Masatsugu
松山商業3年のときに夏の甲子園で優勝したのですが、決勝戦での「奇跡のバックホーム」が話題となり、大学入学後も毎年夏になると取材をしていただきました。やがて取材する側であるマスコミに興味を持つようになり、愛媛朝日テレビに入社しました。入社後は本社や東京支社で主に営業を担当していますが、2014年・15年の2年間は報道制作局に配属され、高校野球の取材に携わることができました。
大学4年間は野球中心の生活でしたが、野球で就職できるとは思っていなかったので勉強との両立を心掛けました。主将になった4年生のときに春の明治神宮大会(全日本大学野球選手権大会)に出場できたことが、学生時代の最高の思い出です。当時、80人前後の部員がおり、野球の技術的なレベルはもちろん、野球に対する考え方も一人ひとり違っていました。主将としてチームをまとめるのに苦労しましたが、いろんな人の話を聞き、自分で考えるようになったおかげで視野が広がりました。また恩師から「高校時代のことは過去の勲章として大切にし、今は大学時代にしかできないことに挑戦しろ」という言葉をいただいたことで、自分自身をしっかり見つめられるようになりました。
校訓「三実」は、今でも私の仕事の基本となっています。営業はお客様に対し「真実」を包み隠さず伝えることが必要です。また謙虚さを大切にし、お互いの意見を尊重しあう関係を築かなければならないのですが、「忠実」という言葉にはそのために不可欠な要素が凝縮していると思います。さらに「実用」の教え通り、生活や仕事の役に立つ情報をテレビを通じて届けていきたいと考えています。
営業をしていて感じることは、周りに松山大学出身の方がとても多いということです。これは松山大学の長い歴史の賜物であり、これまで何度も助けていただきました。これから創立100周年に向け、今度は私自身が後輩たちの役に立てるよう、より一層頑張っていきたいと思います。
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1990年 経済学部経済学科 卒
株式会社伊予銀行 石井支店(取材当時)
須賀 耐自 さん
SUGA Taiji
私は小学校の時から母子家庭で育ってきましたが、その環境において地元に就職する以外の選択肢は頭になかったため、地元の会社である弊行に入行しました。そのきっかけとなったのは、大学で行われた会社説明会に参加したことですが、当時は地元学生に対するアプローチが熱心だったという印象が残っています。
大学時代、昼は学校で講義を受け、終わるとアルバイト三昧の毎日でした。いずれは地元で就職するつもりでしたので、とにかく色々な人に出会い、色々な経験をしておくことが大切であると思い、行動していたと記憶しています。
当時は決められたことをその通りに行うというマニュアルよりも、その場の状況判断(いわゆる臨機応変さ)が求められる時代であったと思います。何事にも正解はなく、「それは自分で見つけ出し、後で周りが答えを出す」というものだと、周りの人からよく言われていました。
恥ずかしながら、在学中「三実」を強く意識してはいませんでしたが、「実用」という言葉だけは自分でよく使っていたと思います。
「実用(じつよう)」:実際に役に立つこと。実際に用いること。
「実用(じちょう)」:まじめなこと。実直なこと。
辞書で調べると上記のように記載されていますが、この中でも「実際に役に立つこと」を当時も今も強く意識して行動しています。
我々、地方銀行員も「地域創生」を大きな柱のーっと捉え、その中で何ができるだろうか、といった思いで仕事に取り組んでいますが、松山大学には、同じ地元の仲間として地域の明日を創っていけるような存在であっていただきたいと願っています。
今後も松山大学の更なる飛躍を心よりお祈りしております。
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2007年 経営学部経営学科 卒
国際ホテル松山(取材当時)
和田 沙夜香 さん
WADA Sayaka
現在、私は国際ホテル松山に勤務しており、主にレストランで接客業務を担当しています。ほぼ毎日来店されるお客様もいらっしゃれば、数ヵ月に一度、ホテルでの外食を楽しみに来られるお客様もいらっしゃいます。どのようなお客様に対しても、良い空間づくりができるよう、コミュニケーションを大切にしながら接客マナー向上に努めています。
大学時代はバレーボール部に所属し、四国インカレ優勝や中四国大会ベスト4などの成績を収めることができました。遠征や合宿が多く、体力的に厳しい時期もありましたが、技術面や精神面などが鍛えられたおかげで、自分に自信が持てるようになりました。またサークル内で主務や会計などを担当したことで、多くの部員たちをまとめることの大変さとやりがいを学ぶことができました。
正直、学生時代は校訓の「三実」について考えたことがありません。しかし今は接客という仕事をする上で「三実」は欠かせないものになっています。まず「真実」ですが、通常、“真実は一つ”です。しかしその解釈は無限大であり、「お客様のご要望は、お客様の数だけある」ということを自覚し、そのお客様にあったサービスを提供するよう心掛けています。またお客様のご要望を「忠実」に実行することは接客業の基本です。さらにすべての思考や行動が「実用」につながっていなければなりません。このように「三実」は今の私の行動指針になっています。
松山大学には、やりたいことをいくらでも自由にできる環境が整っています。学生の皆さんはそんな恵まれた環境を大いに活用し、羽ばたいて欲しいと思います。古き良き伝統を大切にしながらも、新しいものを積極的に取り入れ、挑戦していく松山大学をこれからも応援しています。
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1993年 法学部法学科 卒
セキ株式会社
上木 秀冨 さん
UEKI Hidetomi
長男ということもあり地元企業への就職を希望し、セキ株式会社に入社しました。1年目に名古屋に配属された後、異動を経て、現在は大阪で勤務しています。立場上、比較的新しい取引先と関わることが多く、新しい出会いや、仕事を通じて成長できることに喜びとやりがいを感じています。
学生時代は飲食関係、ホテル、警備員、運転手、家庭教師、便利屋、ルート営業など、さまざまなアルバイトを経験しました。その中で自分の向き・不向きを把握できたことは、その後の人生に役に立ったと思います。
前田繁一ゼミでは政治学を学びました。卒業生との繋がりが非常に強いゼミで、現役学生が卒業生を招く「八二会」と称するパーティーを隔年で開催していました。準備は結構大変でしたが、仲間との団結力が生まれたこと、終わった後の達成感をよく覚えていますし、当時の仲間や先輩方との交流は卒業後も続いています。またゼミのコンパや合宿、旅行などで披露するゼミ伝統のラインダンスがあるのですが、男子学生全員でお揃いのパンツを履いて盛り上げました(笑)。ゼミのテーマである「よく学び、よく遊べ」は、今もモットーとしています。
私は松山大学一期生に当たるのですが、学生時代、校訓「三実」は「松山商科大学の校歌に出てくる言葉」という程度の認識しかありませんでした。しかし卒業後、年を重ねるにつれ、さまざまなシーンで「実(まこと)」を極めることの重要性を感じています。本質は不変でありながら進化する「実」。特に「実用」は、変化の速い現代においても重要なキーワードのひとつになると感じています。
松山大学は2023年に創立100周年を迎えますが、今までの不可能が当たり前になるほど進化の速い時代となりました。これからの進化を生み出す学生の皆さんの活躍を期待しています。
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2012年 経済学部経済学科 卒
株式会社近畿日本ツーリスト中国四国 松山支店
下久保 あやか さん
SHITAKUBO Ayaka
サークルは陸上競技部で短距離(100m、200m)を専門にし、女子キャプテンも務めさせていただきました。持病の腰痛もあり納得のいく成績はなかなか残せませんでしたが、たくさんの先輩方や後輩、そして同期の仲間たちと楽しい日々を過ごせました。
就職活動では、陸上競技の経験を活かしてスポーツ関係の仕事に就くか、それともゼミでの学びの中で興味を持った観光活性化に繋がる仕事に就くか悩みましたが、最終的に現在の旅行会社を選びました。入社当初は松山支店で勤務し、その後山口支店に異動し、2018年3月にまた地元松山に帰ってきました。就職活動で印象的だったのは2011年3月の東日本大震災です。当時、私は大阪で企業説明会に参加していましたが、携帯電話で状況を把握するうちに大きな衝撃を受けました。震災の影響で就職活動は難航し、なかなか内定が出ずに悩んだ時期もありましたが、最後まで諦めず就職活動を続けたことで、希望していた現在の会社に就職できました。このとき、陸上競技の中で身に付けた“諦めない姿勢”の大切さにあらためて気付かされました。
正直、学生時代に「三実」についてあまり意識していませんでしたが、今は非常に大切なことだと感じています。職場では主に団体旅行の手配を担当していますが、お客様が本当に望んでいるものを見極め、多くの情報の中からお客様が求めている情報を提供し、何より、人と人との繋がりを大切にしていくことが、とても重要だと考えています。
卒業後、山口で3年半過ごして特に実感したことがあります。同じ大学出身というだけで、年代に関係なくとても親しみある人付き合いができるのは、“松山大学だからこそ”。そんな温かさを忘れず、さらなる飛躍を期待しています。
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2014年 薬学部医療薬学科 卒
株式会社えひめ保健企画 松山ハロー薬局
山本 雅樹 さん
YAMAMOTO Masaki
入社当初は病院薬剤師として勤務していましたが、会社の研修で薬局勤務を経験した際、幅広い層の患者様やご家族と直接関わる機会に恵まれました。そこで患者様から医療に関するさまざまな相談をお聞きしているうちに、患者様の日常生活や地域医療に携われる薬局での業務に魅力を感じ、入社3年目から薬局薬剤師として勤務しています。業務内容は薬の調剤や監査、投薬はもちろん、患者様の相談であればお薬のことからご家族の心配ごとまでどんなことでも受け付けています。
大学では分析化学を専門とする研究室に入りました。所属していた研究室をはじめ、さまざまな研究室を訪れては先生方を質問攻めにしていたように思います。また入学当初の講義で「薬剤師という職業は、死ぬまで勉強する職業です」という言葉を聞き、「選ぶ道を間違えた!」と思いました(笑)。しかし卒業後、臨床現場で問題にぶつかるたびに全力で勉強している自分がいることを考えると、この言葉が自分自身の指針となることで何ごとにも前向きな気持ちで取り組めているのだと思います。
真実・実用・忠実の「三実」は、医療従事者として最も根幹にあるべきことだと思います。「真実」の“真理を求めるために自ら学び、究め続けようとする態度”は、前述の「薬剤師という職業は死ぬまで勉強する職業」に通じていますし、「実用」や「忠実」も適切な医療を提供していく上で欠かせません。正直、在学中は「三実」を意識したことはありませんが、先生方の熱心なご指導のおかげで自然に身に付いたのだと思います。
松山大学が100周年を迎えることは非常に喜ばしいことです。これからも数多くの卒業生が幅広い分野で活躍してくれると思いますし、学生たちの在学中の活躍にも期待しています。地元企業で働く卒業生と大学、学生のネットワークを密にすることで、地元をもっと盛り上げていって欲しいですね。
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1981年 経営学部経営学科卒
株式会社フジ 代表取締役社長 兼 COO
山口 普 さん
YAMAGUCHI Hiroshi
井上幸一先生の「商学総論」で「スーパーマーケットは今後成長していく面白い業種だ」という話を聞き、フジの入社試験を受けました。当時の採用担当者の「流通というのは人々の生活に直結しており、我々がしっかり事業活動することがお客様の生活向上につながる」という熱い言葉に引かれ、入社を決めました。入社した年に広島県にフジの県外1号店ができたのですが、県外進出は会社の悲願だったこともあり、社内は活気に満ち溢れていました。
学生時代は“試験前の付け焼刃”でどうにか切り抜けていました(笑)。サークルは空手部で男っぽい部員ばかりでしたが、4年生のときに父が亡くなり帰省していると、その中でも一番バンカラな同級生から汚い字で書いた手紙をもらいました。私を励ます内容を読んで「やっぱり友達っていいな」と思いましたね。現在も年に数回、OBたちと集まっていますが、当時の仲間たちと過ごすのは楽しいですね。
校訓「三実」は知っていましたが、意識して行動したことはなかったですね。しかし現在、「真実」という言葉からあらためて思うのは、「会社の中で正しいことをしよう」ということ。ついソロバン勘定を優先したくなることもありますが、やはり「正しいこと」をしなければなりません。「実用」に関して言えば、我々はお客様にモノやサービスをお届けする実務を通じて社会やお客様のお役に立てていますし、新しいことにチャレンジすることも「実用」の一つだと思います。「忠実」に関して言えば、やはり人を大切にするということ。当社の理念の一つである「私たちは、人々を大切にする企業を目指します。」にも通じています。
松山大学は多くの諸先輩を輩出した中四国でも歴史ある優秀な私学であることは、紛れもない事実です。歴史と伝統にしっかりと支えられながら、「我々ならできる」「我々がやらなければならない」という心意気を持って、新しいことにチャレンジしていくことを期待しています。
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2017年 人文学部社会学科卒
東京海上日動火災保険株式会社 愛媛自動車営業課
小玉 香名美 さん
KODAMA Kanami
高校時代から世界史に興味があり、大学1年次に世界史検定2級に合格しました。3年次には愛媛大学との単位互換制度を利用し、松山大学のカリキュラムにはない世界史を学びました。在学中は、「置かれた環境の中でいかに自己実現に努められるか」を自分で考え、行動したことで、自らの視野やフィールドが広がり、現在の仕事にも役立っています。
広島県出身ですが、就職活動は愛媛県の金融・保険業界を中心とし、会社説明会を通じて先輩社員に惹かれて当社を志望しました。入社後は我々のパートナーとしてお客様に保険を販売している代理店の経営支援や、法人のお客様への営業に同行しています。代理店の社内体制を築いていくことに責任の重さを感じる一方、若手社員の裁量権が大きく、自らがリーダーとなって業務を進めることができるので、仕事にとてもやりがいを感じています。
当社には、社員に求められる基本スタンスとして「Our Eight」という八訓がありますが、校訓「三実」と重なる部分が非常に多いと感じています。例えば「礼を重んじる」や「人に関心を示す」「相手軸を意識する」は、「忠実」に通じる考え方であり、私自身も日ごろから最も大切にしている観点です。「真実」「実用」についても社会に出てからその意味の重要性を理解し、日々実践しています。
松山大学は私が入学した年が創立90周年でした。当時は長い歴史があること、数多くの卒業生が幅広い分野で活躍していることを知り、大変驚きました。もうすぐ節目の100周年を迎えますが、これからもどんどん新しいことにチャレンジし、新しい風を吹かせることで、県内はもちろん県外・四国外からの学生も増やし、全国に松山大学の名前を轟かせて欲しいと思います。私も仕事に励むことで、卒業生として松山大学をより一層盛り上げていきたいと思います。
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1976年 経済学部経済学科卒
南海放送株式会社 常勤監査役
秋川 啓人 さん
AKIKAWA Yoshito
入社後、経営企画関係の部署で6年間勤めた後、希望していた報道部門に移り、記者、デスク、部署の責任者として通算30年間勤務しました。警察や県政の担当記者が長かったので、その方面の仕事は今も思い入れが強いですね。報道関係以外の管理部門では中期計画立案などに携わり、専務取締役などを経て、現在は常勤監査役として事業の適切な執行などのチェックを行っています。
学生時代の一番の思い出は、マーケティング研究会で先輩や同級生たちと酒を酌み交わしながら語り合ったことです。サークル活動の一環として市場調査を行ったときは、人との接し方の大切さを学びました。言葉づかい一つで収集できる情報の質や量が変わるため、「どうすれば相手の答えを引き出せられるか」を考えるようになり、それが記者になってからの取材活動に役立ちました。また私の学生時代は、テレビのニュース報道が大きく変わろうとしていた時期でもありました。従来のニュース映像の大半は録画でしたが、東大紛争をきっかけに生放送が増え、そのスピード感が新聞と全く違うことに興味を感じ、「テレビ局で報道に携わりたい」という思いが強くなりました。
校訓「三実」には、勉学以外にもさまざまな“学び”が内包されていると思います。例えば「実用」はただ学ぶだけでなく、学んだことを仕事などにいかに生かしていくか、を考えさせられます。特に現代はさまざまな情報が溢れているため、情報を冷静に判断した上で生かしていくことが求められます。ネットも含め、正しい情報か否かの判断をみんなが学んでいく時代だと思います。
就学人口の減少により、今後必要とされない大学は消えていくと思います。100周年を迎える松山大学が、今後さらに100年生き残っていけるかどうかは、大学で働く教職員の資質や努力だけでなく、「卒業生が社会でどう活躍するか」が問われてくるのではないでしょうか。優秀な人材を育てるには先輩方からの教えも含め、私たちの経験を次の世代に伝えることが重要だと思います。
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1981年 経済学部経済学科卒
ネッツトヨタ瀬戸内株式会社 総務部部長 採用担当
徳井 直人 さん
TOKUI Naoto
地元での就職を優先的に考え、営業職に興味があったのと、もともと車好きだったので現在の会社に就職することを決めました。当時の社名はトヨタビスタ愛媛㈱で、創業2年目のフレッシュな会社でした。営業として本社で3年、大洲店で14年勤務し、その後本社に戻り教育担当を5年、総務を18年経験。8年前からは兼務で採用担当の仕事も始め、現在は主に営業スタッフの採用に携わっています。
学生時代はデパートの物流センターや引っ越しなどのアルバイトに精を出し、貯めたお金で免許を取って、安い中古車を購入しました。高速道路の無い時代でしたが、友人と四国一周するなど全国各地にドライブに出掛け、お金が無くなるとまたアルバイトをするという繰り返し。学生時代の同級生や先輩・後輩、アルバイト先の友人・知人の中には現在も付き合いのある人が多く、仕事でもプライベートでも助けていただいており、学生時代に多くの出会いに恵まれ本当に良かったと思います。ちなみに妻も大学の後輩です(笑)。
真実・実用・忠実の「校訓三実」ですが、正直、学生時代はピンときていませんでした。しかし社会人になってからはこの意味がよく分かりました。例えば営業では、お客さまにウソを付いたり、できない約束をしたりしてはいけません。誠意をもって事実を的確に伝える必要があります。管理職になってからはより一層その意味の重要性を実感しましたが、約100年前の校訓が現在も通用しているというのは、本当に素晴らしいことだと思います。
「御幸グラウンドは松田池で、カルフールは弓道場、薬学部棟はグラウンドだった」など、就活中の学生さんに昔の大学の話をしますが、卒業後40数年の間にさまざまなものが変化してきました。もうすぐ100周年を迎えますが、松山大学がより一層進化・発展を遂げると同時に、学生さんたちも進化・成長していくことを心から期待しています。
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