松山大学(学生懸賞論文集)第39号
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地域再生プラットフォーム-制度設計と政策立案-57工業地帯へ流出した。こうした人口流出により、農村では1960年代後半以降すでに過疎化が問題視されていた。高度経済成長がオイルショックにより落ち着くと、労働力需要の減少や農村地域工業等導入促進法による農業工業化などを理由にUJターンが生じ、1980年頃にかけて人口流出は沈静化された。また、1970年代後半には「定住構想」のような、地方・農村と都市とのバランスを重視して過疎や過密を抑制する考えがみられた。しかし、1980年代後半からのバブル期以降、東京圏への人口流出が再度起こった。それ以降もグローバリゼーションの影響で就業構造の変化や農産物の輸入拡大による国内農業の圧迫などが起こり、地方・農村から東京圏への流出は固定化されていく。1990年代以降は子供を産む若い世代の都市への流出により、過疎地域において自然減に転じる市町村が生じるようになり、少子化による人口減少と地域内人口の高齢化が進行していった。日本全体が本格的に自然減に転じたのは2007年以降であったが、地方・農村をみると、都市に先駆けて人口減少・少子高齢化が進行してきたといえる。 次に、2000~2010年代の人口減少下の地方・農村の様相と関連政策について整理していく。2000年代には、様々な行財政改革がなされたが、競争主義化、超効率化を図ったこれらの改革は農山村へ大きな影響を与えた。その中でも最たるものが、財政危機への対処として推進された自治体再編である。小規模な市町村は、税制優遇のアメと地方交付税削減のムチという政府の強引ともいえる推進策のもと合併を余儀なくされた。この影響として、財政支出の削減というプラスの側面の陰で、公共サービスは低下し旧市街地部の衰退も見られた。また、小泉政権による三位一体改革や都市再生などの新自由主義的構造改革は、都市と地方間の格差を拡大させた。地方では、人口減少と高齢化がさらに進行し、交通弱者や買い物難民など生活サービスに関する新たな問題や、耕作放棄地増加、集落機能の低下なども顕在化した。 このような問題を克服するための要として注目されているのは、1990年代から散見され、リーマンショックや東日本大震災を経て2010年前後勢いを増した田園回帰の潮流である。こうした動きを受け、政府は1990年代半ば以降、田園回帰の推進と地域再生のための様々な政策を行ってきた。総務省「地域おこし協力隊」は、農村への人的支援制度を用い外部人材の移住や定住を後押しし

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