学生懸賞論文集 第40号
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1 愛媛県教育研究協議会学校図書委員会 1997年 『愛媛の伝説』愛媛県教育会 100-102ページ 私たちが暮らす場所には、幾度となく災害に見舞われてきた土地があり、先人たちは、災害にちなんだ地名をつけることで後世に危険を伝えようとしたと言われている。そんな地名が今、縁起が悪いといった理由で変更されているということを耳にした。  地名変更には様々な要因があり、人的要因の典型的な例としては、新興住宅地の名称が挙げられる。「〇〇丘」や「〇〇ニュータウン」といった地名で呼ばれている地域は不動産会社が命名した地名であることが多く、宅地開発前は違う名称であったというケースがある。地名変更の理由については、今後住む人に良い土地であるというイメージ付けといったものが挙げられる。また、市町村合併といった社会的要因によって地名が変更・削除される場合がある。秋田県大曲市は、複数の川があり、蛇行する地点が多いことから「大曲」になったと言われていたが、2005年の町村合併によって大仙市に変更された。  これまで人的要因や社会的要因による地名変更を紹介したが、自然要因によってつけられた地名も存在する。災害を連想させる漢字として、「川」「谷」などが挙げられるが、両者も洪水・氾濫・津波といった災害の起こる地域に付けられることが多い漢字である。例を挙げると、2018年の西日本豪雨災害によって、堤防が決壊し1,200ヘクタールが水没した岡山県倉敷市真備町には「川辺」と呼ばれる地区があり、特に被害が大きかった。川辺は文字通り「川の辺」で水害の常襲地であった。  また、愛媛県にも多大な被害を受けた土地がある。愛媛県大洲市の「肱川」は、「肘のように屈曲している」、「泥土やぬかるみ(ヒジ)が多い」ことに由来しており、1995年と2004年にも大規模な水害を起こした暴れ川である。『愛媛の伝説』1によると、鎌倉幕府から伊予の守護に任ぜられた宇都宮豊房が大洲での築城を計画した際、水害で工事が進まず「おひじ」という娘を人柱として立てることになった。豊房は、「城下を流れる川に自分の名をつけてほしい」という娘の遺言を守り、「肱川」と名付けたという伝説がある。このよう学生懸賞論文集第40号21 はじめに

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