69■■例えば、「他人が犯人蔵匿・隠避罪の正犯として処罰されるのであるから、これを教唆した犯人についても正犯に従属して、その可罰性が肯定される。」とする説明であれば、一応は共犯従属性説から肯定説を導くことも可能であると考える。■■瀧川(■■■■)■■■頁。■■団藤(■■■■b)■■頁。■■例えば、共犯従属性説の立場に立つ瀧川博士も否定説を支持されている(瀧川(■■■■)■■■頁)。■■浅田(■■■■a)■■■頁、日髙(■■■■)■■■頁、松原(■■■■)■■■頁ほか。についても、未だ不明確であると思われる■■。さらに、学説の多くは、共犯従属性説の立場に立てば、必然的に肯定説が導かれるわけではないとする。例えば、団藤博士と同様に共犯従属性説の立場に立つ瀧川博士は、否定説を支持されている■■。また、団藤博士も、「共犯従属性説をとるばあいにも、当然、有罪説になるとはかぎらない。右のばあいに、みずから犯すばあいとおなじく期待可能性がないと考えれば、やはり無罪説になる。」と述べられており、共犯従属性説を採ること自体が肯定説を支持する根拠とは成り得ないと考えられる■■。そのため、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否については、「共犯独立性説の立場からは否定説、共犯従属性説の立場からは肯定説」というような明確な対立構造にはなく、本見解から犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否を導くことは困難であると考えられる■■。また、現在の学説では、共犯従属性説が通説たる地位を占めていると解されるため■■、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否について共犯の独立性・従属性を中心とした議論は、共犯従属性説の通説化とともに終息したと思われる。まず、否定説の見解について紹介する。否定説は、犯人が他人を教唆して自己を蔵匿・隠避させた場合において、犯人には期待可能性が存在していないため、犯人に対しては犯人蔵匿・隠避教唆罪が成立しないと説明する■■。否定説が、犯人の期待可能性を不存在とする理由は、正犯行為の不処罰に求められる。第■款期待可能性の存否犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否について、学説では期待可能性の存否によって本問題を解決しようとするものが非常に多い。すなわち、本問題について、「犯人が他人を教唆して自己を蔵匿・隠避させた場合に、犯人に期待可能性が存在したか否か」を判断することによって、解決を図ろうとするのが本見解である■■。犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否に関する一考察−学説・判例における見解及び状況等の整理を中心として−
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