学生懸賞論文集 第42号
83/108

76■■松宮(■■■■)■■■頁。■■なお、松宮教授は、このような指摘に続いて「もっとも、この『実質説』の考え方からは、他人に蔵匿を依頼して犯罪に巻き込むことまでは、それをしないように期待する可能性がないとはいえないという考え方も可能である。」として、本見解から肯定説を導ける可能性を提示されている(松宮(■■■■)■■■−■■■頁)。■■高橋(■■■■a)■■■頁、今上(■■■■)■■頁、豊田(■■■■)■■■−■■■頁。を試みられている。松宮教授によれば、片面的対向犯(その行為が当然予想されるのにあえて刑法に処罰規定が置かれなかった場合の呼称)における対向行為の不処罰根拠には、立法者意思説(「不可欠な行為はあえて不処罰としたのだ」という立法者意思で説明する立場)と実質説(より実質的な不処罰根拠を探求する立場)があるとされるところ、犯人蔵匿・隠避罪は後者の実質説に分類されるとする■■。松宮教授は、このような実質説を前提とすれば、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成立が否定されるのは、「犯人蔵匿罪(■■■条)では、自ら逃げ隠れすることは適法行為の期待可能性がないとして本罪から除外されているのであるから、他人にかくまってくれと依頼することにも期待可能性がなく共犯とならない」として、否定説における期待可能性の存否の見解に接続して考察できると指摘された■■。また、本見解が共犯の処罰根拠論と接続する議論であるとする見解もいくつか見られるところである■■。このように本見解については否定説を支持する理由・根拠のひとつとして古くから論じられて来たのであるが、学説においてはいくつかの批判がある。まず、団藤博士は、犯人蔵匿・隠避罪について、「犯人の存在は概念上必要であるが、犯人の行為は必要ではない。」と説明された■■。団藤博士の見解によれば、犯人による教唆行為は犯人蔵匿・隠避罪の成立に不可欠な要素ではないため、犯人が他人を教唆して自己を蔵匿・隠避させた場合には、犯人に対して犯人蔵匿・隠避教唆罪が成立すると解される。また、団藤博士以外の肯定説支持者からの批判としては、他人(蔵匿者)が犯人(被蔵匿者)を「蔵匿」する場合については、犯人と他人との間に一定の必要的共犯関係が存在していることを肯定しつつも、それが犯人蔵匿・隠避罪において常に要求される行為でないとするものがある■■。このような批判も踏まえれば、今後、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否については、「蔵匿・隠避」を一体の行為として把握するのではなく、「蔵匿」の場合と「隠避」の場合に分けて検討を加える必要学生懸賞論文集第■■号

元のページ  ../index.html#83

このブックを見る