78■■松宮(■■■■b)■■■頁。また、植松博士は、松宮教授と同じく否定説の立場から犯人に「刑の免除」が受けられるとされた(植松(■■■■)■■頁)。もっとも、植松博士は、犯人が「正犯として実行してさえ刑の免除を受けられる」とされているため、「松宮教授の見解と同様のものとみなせるか」については疑問がある(犯人による自己蔵匿・隠避行為に対する松宮教授の見解については、前掲注■を参照。)。■■橋本(■■■■)■■■頁。■■橋本教授のいう「判例」は、昭和■年判決を指すと考えられるところ(橋本(■■■■)■■■頁)、本判決は、「犯人ノ親族カ他人ヲ教唆シテ犯人ヲ隱避セシムルモ教唆ノ罪責ヲ負フヘキモノニ非サル旨ノ所論ハ不當ニシテ之ヲ根據トシテ原判決ヲ攻撃スルハ肯綮ヲ失スルモノト謂ハサルヘカラス」として、犯人の親族が他人を教唆して犯人を蔵匿・隠避させた場合に、刑法■■■条を適用せず、犯人の親族に対して犯人蔵匿・隠避教唆罪の成立を肯定している。そのため、橋本教授は、昭和■年判決の立場を「犯人の親族が他人を教唆して犯人を蔵匿・隠避させた場合においても刑法■■■条の適用がないのであれば、犯人に対しても本条の適用がない」と考察したものと思われる。■■なお、旧刑法(明治■■年太政官布告第■■号)時代でも、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否■■鈴木(■■■■)■■■−■■■頁。■■瀧川(■■■■)■■頁、瀧川(■■■■)■■■頁。■■牧野(■■■■)■■頁。■■宮本(■■■■)■■■頁、泉二(■■■■)■■■頁。については、学説において言及されていた(大場(■■■■)■■■−■■■頁、小疇(■■■■)■■■頁)。しかしながら、本見解については橋本教授から、本問題が「期待可能性の問題である以上、均衡の観点から、教唆犯にも任意的刑の免除を認めるべきかもしれないが、均衡のみでは根拠として薄弱であろう。」とする批判がある■■。また、橋本教授は「判例の考えに従えば、親族に対して教唆したときに親族には■■■条が適用される一方、犯人には教唆犯が成立し、■■■条の適用はないという結論になろう。」として、判例が本見解を採る可能性を否定されている■■。前節の整理を踏まえ、学説の状況を考察すると次のとおりとなる。学説において、古くは、瀧川博士などが犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否について言及された■■。本時代においては、否定説を支持する研究者が多く存在したのであるが■■、その理由や根拠については研究者によって様々であった。すなわち、瀧川博士は期待可能性の不存在■■、牧野博士は共犯独立性説■■、宮本・泉二両博士は必要的共犯■■を根拠として否定説を支持されている。したがって、研究者全体が本問題について共通の観点から分析を試みたわけではないことがうかがわれ、本問題に関しては、初期の学説においても多様な見解が存在していたことを確認することができる■■。また、本時代では、犯人に学生懸賞論文集第■■号第■節学説の状況
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