学生懸賞論文集 第42号
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79■■なお、小野博士も否定説を支持されていたが、その理由・根拠等は不明である(小野(■■■■)■■■頁)。また、小野博士は、のちに期待可能性の存在(小野博士は、「他人をして故意に犯人蔵匿又は證■湮滅の罪を犯さしむる如きは情狀に於て同一ではない」とされる。)を根拠に、否定説から肯定説に改説されている(小野(■■■■)■■■頁)。■■例えば、瀧川博士は、昭和■年判決における「防御の濫用」を考察した上で、これを批判し、期待可能性の不存在による否定説の立場を支持された(瀧川(■■■■)■■■頁)。また、牧野博士も、判例が、従来から共犯従属性説を採用していることを示した上で、共犯独立性説の立場から否定説を支持された(牧野(■■■■)■■頁)。■■江家(■■■■)■■頁、藤木(■■■■)■■頁、土本(■■■■)■■頁、鈴木(■■■■)■■■−■■■頁、団藤(■■■■b)■■頁、福田(■■■■)■■頁、大塚(■■■■)■■■頁、内田(■■■■)■■−■■■頁、佐久間(■■■■)■■■−■■■頁、中森(■■■■)■■■頁。なお、肯定説を「有力説」と紹介するものとして、鈴木(■■■■)■■■頁、「多数説」と紹介するものとして、川端(■■■■)■■■頁、「通説」と紹介するものとして、佐久間(■■■■)■■■頁。また、昭和■■年決定の調査官解説も「近時積極説をとる刑法学者が多くなっている傾向ではないかと見受けられる」と指摘している(吉川(■■■■)■■■頁)。■■期待可能性の存在(あるいは、期待可能性不存在の否定)を中心に肯定説を支持するものとして、藤木(■■■■)■■頁、団藤(■■■■b)■■頁、福田(■■■■)■■頁、大塚(■■■■)■■■頁、佐久間(■■■■)■■■−■■■頁、中森(■■■■)■■■頁ほか。期待可能性の不存在を中心に否定説を支持するものとして、平野(■■■■)■■■−■■■頁、佐伯(■■■■)■■頁、中山(■■■■)■■■頁ほか。■■高橋(■■■■)■■−■■頁。また、鈴木(彰)教授も「責任論での解決を留保して、問題を共犯論に移したらどうであろうか。」として高橋博士と同様の見解に立っている。さらに、今上教授は、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否と共犯の処罰根拠論を積極的に関連付けて検討をされている(今上(■■■■)■−■■頁、今上(■■■■)■−■■頁)。■■藤木(■■■■)■■頁、中森(■■■■)■■■頁。対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成立を判例としてはじめて肯定した昭和■年判決が下されている。そのため、学説においては、昭和■年判決を契機として本問題が活発に議論されたと思われる■■。このように、従前の学説においては、否定説を支持する者が多く存在し、その根拠も多様であったといえる。しかしながら、■■■■年代から■■■■年代にかけて、肯定説を支持する者も増加している■■。肯定説支持者の多くは、かつて小野博士によって主張された期待可能性の存在を根拠とする。そして、本時代において、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否は、「犯人が他人に自己を蔵匿・隠避させた際に、期待可能性が存在しているか否か」という、「責任論」を中心として論じられることとなったのである■■。また、このような期待可能性の存否が本問題の中心に論じられた本時代においても、例えば、高橋博士のように期待可能性の存否の判断にあたって共犯の処罰根拠論を取り入れるもの■■、藤木博士や中森教授のように肯定説を支持しながらも、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪が成立する範囲を縮小しようとするものなど■■、学説では肯定説・否定説ともに様々な見解犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否に関する一考察−学説・判例における見解及び状況等の整理を中心として−

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