学生懸賞論文集 第42号
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81■■なお、本判決はあくまでも、現行刑法(明治■■年法律第■■号)下において本問題に言及した初の判例である。旧刑法時代を含めれば大判明■■・■■・■■刑録■輯■■巻■■■頁が、判例においてはじめて犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否に言及している。本判決は、他人「ノ隱避罪ハ」犯人「ヲ隱避スルニアルヲ以テ假令」犯人「カ之ヲ囑託シタリトスルモ其隱避罪ヲ教唆シタルモノト云フヲ得ス」として、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成立を否定する立場に立っている。■■瀧川(■■■■)■■■頁。■■浅田(■■■■b)■■■頁、高橋(■■■■b)■■■頁、伊藤(■■■■)■■■頁、橋爪(■■■■)■■■頁、大谷(■■■■)■■■頁、西田・橋爪(■■■■)■■■頁、関(■■■■)■■■頁、山中(■■■■)■■■頁、川端(■■■■)■■■頁、三原(■■■■)■■■頁、曽根(■■■■)■■■頁ほか。■■判例では、京都地判昭■■・■・■■判タ■■■号■■■頁が、昭和■年判決における「防御の濫用」を「自己防御権の濫用」と称しており、昭和■■年決定における谷口裁判官の反対意見(以下、「谷口意見」という。)も「犯人の防御権の濫用」と表現している。放任行爲トシテ干渉セサル防禦ノ範圍ヲ逸脱シタルモノト謂ハサルヲ得サルニヨリ被教唆者ニ對シ犯人隱避罪成立スル以上教唆者タル犯人ハ犯人隱避教唆ノ罪責ヲ負ハサルヘカラサルコト言ヲ俟タス」として、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成立を肯定した。もっとも、昭和■年判決の示す、いわゆる「防御の自由・濫用」については、その性質や内容についての言及がない。そのため、下級審判例・学説においては、本見解の分析が試みられている。例えば、「防御の自由」について、古くは、瀧川博士が、「恐らく刑事訴訟法上の防禦權に結付けて、そういふのであろう。」とした上で、「そうだとすれば、犯人自らの隠避行爲は、『法律の放任行爲として干渉せざる』程度の薄弱なものではなく、權利行使の一形態でなければならない」と考察された■■。瀧川博士と同様に「防御の自由」を刑事訴訟法上の「防御権」と捉えているものは、判例・学説においても多くみられるところである■■、■■。もっとも、「防御の自由」を「防御権」と捉えたとしても、このような「防御権」に基づく権利行為が刑法学上において「どのように処理すべきか」について述べているものは少ない。この点について、例えば、高橋博士は、犯人による自己蔵匿・隠避行為を「防御権」に基づく権利行為であるなお、大判昭■■・■・■■刑集■■巻■■号■■■頁(以下、「昭和■■年判決」という。)は、証拠隠滅罪について、「犯人自ラ爲シタル證■湮滅ノ行爲ヲ罰スヘシト爲スハ人情ニ悖リ被告人ノ刑事訴訟ニ於ケル防禦ノ地位ト相容レサルモノアリトシ刑事政策上之ニ可罰性ヲ認メサルモノニ係ル」として、犯人による自己証拠隠滅行為を不問とした理由を示している。犯人蔵匿・隠避罪が証拠隠滅罪と同様に刑法第■章に規定されていることや、両罪の保護法益がともに刑事司法に関する国権の作用であること、自己による単独正犯(自己蔵匿・隠避、自己証拠隠滅)行為が不可罰であることに鑑みれば、昭和■年判決も本判決と同様に犯人による自己蔵匿・隠避行為が「人情ニ悖リ」不可罰となっていると考えることも可能であるように思われる。犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否に関する一考察−学説・判例における見解及び状況等の整理を中心として−

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