学生懸賞論文集 第42号
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82■■高橋(■■■■b)■■■頁。なお、大塚(裕)教授は、「防御権と刑事手続における調和という視点からすれば、他人を巻き込んで逃げ隠れする行為までは防御権として法は予定していない」として、防御権を根拠とする違法性阻却の可能性を否定されている(大塚(■■■■)■■■頁)。■■今上(■■■■)■−■頁。■■また、下級審判例として、京都家決平■・■・■家月■■巻■■号■■頁(以下、「平成■年京都家裁決定」という。)は、昭和■■年決定について、「これは、自己隠避行為自体には期待可能性がないが、他人を犯罪に引き込んでまで隠避行為をしないということについては期待可能性がないとはいえず、自己隠避の教唆は自己防御として放任される範囲を逸脱しているという考え方に基づくものであると解される。」と判示している。■■昭和■■年決定、最決昭■■・■・■■刑集■■巻■号■■頁、昭和■■年決定、令和■年決定等。とするのであれば、「犯人の自己蔵匿の不処罰根拠を、期待可能性の不存在ではなく、防御権の正当な行使であるとして違法阻却と解することも可能であろう。」と指摘された■■。すなわち、高橋博士によれば、判例は、刑事訴訟法における「防御権」を「防御の自由・濫用」とした上で、これを犯罪体系上の違法性段階の理論に位置付けていることになる。そして、今上教授も、上記のような高橋博士の考察と同様に、「防御の自由・濫用」について、「それが『防御権』を意味するのであれば、自己隠避は権利行為であって違法性を欠く」とされた■■。なお、今上教授は、「権利行為ではなく、ただ自己隠避を拒否しえないだけだと解すれば、自己隠避それ自体は違法であるが、責任が阻却されるだけのことに帰する。」として、「防御の自由・濫用」が「防御権」としてではなく、学説における期待可能性の存否に関連付けられる可能性を示されている■■。このように現在の学説・判例においては、「防御の自由・濫用」について「防御権」と捉え違法性要素であるとするものと「期待可能性」の問題であるとして責任要素とするものの■つに分かれていると考えられる。第■款最高裁判例の立場と昭和■■年決定の位置付け犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成否について、最高裁では昭和■■年決定が、昭和■年判決と同様に犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成立を肯定し、本決定以降の最高裁判例は本決定を引用した上で成立を肯定し続けている■■。しかしながら、本決定は「犯人が他人を教唆して自己を隠避させたときは、犯人隠避罪の教唆犯が成立するものと解するを相当とする」と判示するのみで、その理由については判示していない。また、本決定では昭和■年判決等の判例の引用が一切ないことから、「昭和■■年決定がどのような理論に基づいて、犯人に対する犯人蔵匿・隠避教唆罪の成立を肯定したのか」については明学生懸賞論文集第■■号

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