Creation-169号
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人文学部教授 岡山 勇一 Okayama Yuichi近代社会を背景に生まれた作家たちが描く思想と時代  私が松山大学に赴任して37年になりますが、その内最初の約25年は20世紀のイギリス文学、特に20世紀前半の英国を代表する小説家であるD・H・ロレンスを中心に研究を続けてきました。また、ロレンスを主な研究対象とする学会、「日本ロレンス協会」の執行役員として、近年は若手研究者の後押しなどもさせていただいています。 大学院生のとき、ノーベル賞を受賞した優れたモダニスト詩人であり、批評家でもあったT・S・エリオットを取りあげ、彼の批評理論について修士論文を書いたのですが、その際に彼が「ロレンスはまさに神を冒涜する作家である」とこっぴどく批評している文章を読みました。そこで「エリオットがこれだけ貶すロレンスとは一体どんな作家なんだろう?」と興味を持ったのがロレンス研究に取り組むきっかけでした。  ロレンスの父親は炭坑夫でしたが、彼は奨学金を受けながら大学を卒業します。短期間でしたが教員の仕事をしたあと作家としてデビューしています。当時のイギリスでは作家や詩人は貴族や地主といった富貴層の出身者ばかりで、恐らく生粋の労働者階級の出自から作家として成功したのはロレンスが初めてではないでしょうか。ロレンスの思想の根底には、20世紀の著しい機械文明の発展に伴い人間性が損なわれてしまったことに対するラディカルな批判が存在しています。 ロレンスは1930年に亡くなりましたが、その当時には第一次世界大戦という大きな出来事があり、彼も大きな影響を受けています。彼は、「効率第一主義で、成果が上がればそれでいいという機械万能の文明が人間をダメにする、そしてもう一方で西洋のキリスト教文明が人間の生命と性を貶めている」と考えていました。彼の作品には「この歪んだ人間像から人間を解放しなければ」という切実な思いが伺えます。人間性を喪失させた機械文明とそれに屈することを拒否する人間との間の確執は、21世紀になっていっそう深刻化し、人間の自然が見えなくなってきている状況にあります。彼は1920年代にすでにそのことを見抜いていたのです。ロレンスの先見性や彼の考える人間性について講義やゼミなどを通して教えるとともに、研究成果として2002年に﹃D・H・ロレンスの思想と文学﹄というタイトルの研究書を出版しました。 ロレンス研究が一段落を迎えた頃からは、D・H・ロレンスやJ・ジョイスたちとは傾向の違う、イギリス中産階級の立場を代表するE・M・フォースターという作家についてこの10年ほど研究を続けています。本学のサバティカルを利用して1984-85年にケンブリッジ大学へ留学し、その時にはD・H・ロレンスを中心にして研究しました。2回目のサバティカルの時(1996-97年)にも同じケンブリッジ大学へ留学しましたが、このときにはE・M・フォースターが在学し、また晩年をフェロー(特別研究員)として過ごしたキングス・カレッジの図書館を利用して、彼の文学に関する本格的な研究に着手しました。彼はイギリスの古き良き伝統と大英帝国としての威信を受け継ぐ中心的役割を担っている中産階級の存在にこだわった作家で、﹃ハワーズエンド邸﹄や﹃インドへの道﹄、あるいは同性愛を扱った﹃モーリス﹄という作品が有名ですが、91歳で亡くなるまでの長い生涯の間にたった6作品しか長編小説を書いていないのです。特に1924年、彼が46歳のときに発表した﹃インドへの道﹄は外国でも高く評価され、大作家の地位を確立したにもかかわらず、彼はそれ以後46年間、一作も長編小説を発表していません。大作家としての地位を確立していながら、その後亡くなるまで「なぜ彼は小説を書かなかったのか?」とい階級制度や古い伝統のもとにあるイギリスで激動する機械文明と人間性の対立を描いたD・H・ロレンスE・M・フォースターが小説を書かなくなった理由CREATION 〈No.169〉 2011 Spring5

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