Creation-170号
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BRINP1以外の遺伝子でも、欠損させると海馬の神経回路に異常が生じたりヒトの精神疾患に類似したマウスの行動異常が生じたりする例が幾つも明らかになってきました。そこで精神疾患に対する中間表現型を突き止めようという考え方が生まれました。統合失調症など特定の名前の疾患であっても、その原因には遺伝子や環境要因など様々な因子があり、また病気の実態としての心理的・行動的変化も微妙に異なるものが含まれると想定し、むしろ多様な原因によって脳内で共通に引き起こされる変化(中間表現型)を生物科学的に検証可能な形で特定しようとする考え方です。例えば私たちのBRINP1や他の遺伝子の研究からは、「未成熟な海馬」がある種の精神疾患の中間表現型といえます。今後、動物実験を通じて多くの遺伝子や環境要因による行動異常と脳内の変化を網羅的に調べて中間表現型の実体を客観的に明らかにし、ヒトを対象とした研究に応用できれば、精神疾患に対する根本的な治療法を生み出す可能性が生まれると思います。また、そうなれば精神疾患に対する見方も変わってくるでしょう。注1:幻覚、幻聴や妄想などの目立つ陽性症状、感情の起伏がなくなり意欲が低下する陰性症状など多彩な症状を示す一群の病気。注2:集中力が低下して、注意不足、多動、衝動性のある症状。幼少期から発症することが多く、日本では学級崩壊の一因になっていると言われる。注3:中脳のドパミンを作る神経細胞が死んで運動機能が低下する病気。注4:大脳皮質や海馬の神経細胞が死んで記憶や学習機能が低下する病気。では「子供特有の多様な個性だから尊重しよう」と考える傾向が強いそうです。一方、アメリカでは、学童の6分の1がADHDと見なされて「薬を処方してもらうように」といわれる反面、薬物治療の是非を巡り論争が行われています。 症状を抑えたり改善したりすることに対して、薬は一定のそして時には劇的な効果をもたらします。しかし、正しい診断のもとに使わないと自殺を図ったり反って攻撃的になったりすることもあります。多くの薬は脳内の特定部位だけに作用させられないので、統合失調症に対して有効な薬が副作用としてパーキンソン病(注3)を引き起こすこともあります。また最新の脳イメージング技術を用いて生きたまま脳内の状況を観察できるようになっても、脳内にどのような器質的な欠陥があって精神疾患の症状が出ているのかは、わからないことが多いのです。一方、アルツハイマー病(注4)やパーキンソン病は精神疾患とは別の神経難病ですが、脳の中でそれぞれ決まった場所の神経細胞が死ぬことにより病気が進行することがわかって、効果的な対処療法が使えるようになりました。 ノックアウトマウスの行動だけを見て、「これが精神疾患のマウスだ」とか、特定の遺伝子の異常だけで精神疾患が発症すると断定することは危険なことです。その一方で、「神経細胞の発達過程と増殖・分化・再生の制御機構」のイメージを示した図【略 歴】 1955年 大阪市生まれ1982年 大阪大学理学研究科生物化学専攻修了1982年 北海道大学薬学部教務職員(1983年助手)1988年 英国ロンドン大学(インペリアルカレッジ)客員研究員1989年 ドイツ マックスプランク精神医学研究所研究員1998年 北海道大学大学院 薬学研究科助教授 2004年     同    創成科学研究機構兼任2005年     同    脳科学教育研究センター併任2008年 松山大学薬学部教授(現在に至る)薬学部教授 理学博士 松岡一郎 Dr. Ichiro MatsuokaCREATION 〈No.170〉 2011 Summer4

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