Creation-173号
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的な注目を集めることの少ない事例ですが、法律論としては難しいものになってきます。 もう一つの判例として、通りすがりのAがゴミを捨てていたBに苦情を言ったため口論となり、AがBを殴った後で、BがAを追いかけて攻撃し、その後、逆にBが、反撃されてケガを負ったという事例があります。この場合、始めに挑発したのは通りがかりのAで、それが原因で攻撃されて反撃したという形になります。攻撃されて反撃したところだけ見れば正当防衛ですが、この場合、右の事情だけを考慮して処理するのでは不十分ではないかについて問題となり、どのように考えればよいのか疑問となります。危険が切迫していないので「侵害の急迫性」〈※2〉が欠けるとか、襲われたから反撃したという意思がなくなるので「防衛の意思」が欠けるとか、防衛行為の相当性が欠けるので「やむを得ずにした」とはいえないとか、ケンカなので正当防衛は成立しないというように、判例ではだいたい4パターンぐらいに分かれていましたが、最も多く利用されている基準は「侵害の急迫性」が欠ける、というパターンでした。 本件においても下級審では急迫性の要件に欠けるという判断が下りましたが、最高裁の決定ではそのことには一切触れられていませんでした。下級審では侵害の急迫性の存否で議論されていたのに、最高裁において議論していないということは、最高裁は侵害の自招侵害の処理に関して、急迫性の存否の議論を行なわないということを暗に示しているように思われます。「じゃあ急迫性ではなくて、どんな要件を考えたのか?」というのが研究者の間で議論していかなければいけないのです。このように、私は正当防衛がどういった場合に認められるかということを過去の判例と比較しながら分析し、議論していくという研究を続けています。 正当防衛は条文上「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利の防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」とされています。このように難解な言葉が使われていますが、言葉一つで犯罪の成立/不成立が決まるため、曖昧さがあってはいけないのです。日本の法律は明治以降ヨーロッパの法律を武士階級が翻訳したため漢文調となり、漢文の素養を持たない庶民にはよくわからないものになってしまいました。最近では、裁判員裁判が始まることなどにより、一般人が判決を理解できるよう“判決文”がやさしい日本語で書かれるようになってきました。しかし「突然誰かに襲われた」と法律に書くと、条文としては十分ではありません。それゆえ、厳密に意味を確定できれば「条文の言葉は、難解であってもかまわない」と思っています。 刑法の研究者は主にドイツの文献にある議論を起点として日本の法律解釈の指針としてきました。外国と日本では文化を始めいろいろと違いがあるので、同一事例なのに判断結果が違うことがありますが、この差異の比較を起点として、私たちは思考していることになります。 正当防衛の研究を続ける中で、解決済みと思われる問題であっても社会情勢が変われば、議論にも変化が生じるため、研究には終わりがないと感じています。 日本は明治以降、他者加害禁止(他人の権利、利益を侵害してはならないこと)と自己決定(自分のことは自分で決められる)を中心においた近代法を取り入れてきました。一方で、社会は、相互行為の複合体であり、他人の法益を侵害したとしても、相互行為に基づく価値判断によれば、その法益侵害行為が正当化されることがあります(例えば、正当防衛)。さらに、行為者の自己決定の観点から、行為者の責任の存否が問われます。近代社会に生きる私たちは「他者加害」と「自己決定」という観点から、諸問題を分析していますが、私は刑法における「正当防衛」の諸問題の解明を通じて、上記の分析を行っていることになります。これからもこの研究を続けてゆきたいと思っています。※1:裁判所の判決について、その意義を解説および批評したもの※2:法によって保護される利益(法益)が侵害される危険の切迫していること授業やゼミナール等で使用している刑法の書籍や六法。明照教授は刑法を学ぶ入口となる「法律学入門(刑法)」で「法学部において、何を勉強するのか?」を学生に問いかけ、「著者が何を語りたかったのかについて、考えること」の意義、資料(教科書)を読むことの大切さを説く。正当防衛の成立要件について理論と現実の両面から刑法のあり方を考えるCREATION 〈No.173〉 2012 Spring6

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