Creation-174号
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なります。それは例えば、医療現場であれば、医療現場のフィールドワークを通して、日常の診療場面で働いている習慣的なエスノメソッドを研究者自身も習得することを意味します。 もう一つの研究領域である臨床社会学は、基本的に人々の苦悩に関わる研究で、最初に取り組んだのは精神障害者の苦悩についてでした。その後、高齢者の社会的支援、部落差別問題の啓発活動研究などを行ってきましたが、並行して足かけ10年間に渡る薬害HIV感染被害のインタビュー調査を行いました。 薬害HIV問題とは、血友病患者に投薬された非加熱血液製剤に混入したHIVウィルスよって患者がHIVに感染した問題です。最初マスコミの善悪二元論に影響されていた我々が医師のもとにインタビューに行ったところ「何も分かっていない。勉強して出直してこい」と言われてしまいました。それから約3年間をかけて当時の医学論文にあたり、血友病とHIVの治療については医師にレクチャーを受け、実際の診察場面や医療ミーティングの場にも参与観察に行きました。つまり、その当時の医師・患者と同じような常識的知識まで共有できるよう努力したのです。その結果、初めて話を理解できるようになりました。 そこから、加熱製剤はもともとアメリカで肝炎対策のために開発された薬だったこと、HIV感染メカニズムがまったく明らかになっていなかった当時の医師たちには不安や惑いがあったこと、他方、患者には関節出血の想像を絶する痛みと、HIVに感染してしまうかもしれないが血液製剤なしでは生きていけないという気持ちがあったことなど、マスコミにはまったく取り上げられなかった「生きられた意味」がわかるようになりました。 この10年間で得られたものは非常に大きく、私の研究スタンスにも大きな影響を及ぼしました。現場の生きられた常識をきちんとわかっていないと、インタビューの回答に表面的で誤った解釈しかできないということです。2010年3月に最終報告書が出され、一つの区切りを迎えることができました。いまは引き続き、そこから派生した、現在の患者たちが抱える高齢の両親の介護、障害についてなどQOL〈※1〉問題の研究を続けているところです。 現在、大学院で指導している院生たちがハンセン病療養所に入ってインタビューを行っているのに同伴しながら、入所者のライフストーリーを聞き始め、絶対隔離という現代人にとって想像を絶する状況下においても、生きる力を失わなかった患者たちの経験を一つひとつ掘り起こしています。 薬害HIV感染被害問題の社会学的研究を経験した後で、このハンセン病回復者のライフストーリーの研究に向かうと、ひとつの大きな転換点が私の研究に訪れたことがわかるようになりました。それはエスノメソドロジーの目標としていた、自明視されたエスノメソッドをフィールドワークを通して獲得する仕事が、単に研究者ひとりの仕事であるだけでははなく、むしろ、研究対象者と研究者の協働によって初めて達成される仕事だということです。 つまり、私たち研究者はフィールドで働いている「端的な理解可能性」であるエスノメソッドを獲得するだけでは十分ではなく、それに基づいて研究対象者のライフストーリーを聞いて解釈を行い、また私たちの解釈を対象者に返す作業が必要だということです。しかもこの作業は、私たちの解釈の正しさや妥当性を対象者に確認してもらうプロセスにとどまるわけではありません。むしろ、このやりとりを通して、対象者自身にも気づかなかった意味が取り出され、それを通して、私たち研究者にとっても新しい認識が生み出されるのです。つまり、エスノメソドロジーは習慣化されているため意識にのぼらない解釈方法だけに焦点を当ててきたのですが、ここにきて、語りとして表現されるライフストーリーとエスノメソッドとの関係を明らかにできるようになりました。 輸入血液製剤によるHIV感染問題調査研究の最終報告書(左)と、マスメディアの流布した善悪二元論の構図によって医師と患者の語りが歪曲されて解釈される問題に直面し、それを乗り越えたライフストーリーの社会学の立場を確立した著書(2011年、せりか書房)(右)。10年間に渡る薬害HIV感染被害の調査エスノメソドロジーとライフストーリー研究※1:“Quality of Life”を意味し、「生命の質」「生活の質」「生きることの質」など。人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見いだしているかという概念CREATION 〈No.174〉 2012 Summer4

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