CREATION_175号
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243516「琴ノ浦温山荘園」は大正初期から昭和初期にかけて、会社経営の第一線から退いた新田長次郎翁が造り上げた広大な庭園である〈※1〉。長次郎翁が自身の静養と趣味である造園を楽しむために土地を探し始めたのは55歳の頃。大阪から南方に土地を求めて、和歌山県海南市の琴ノ浦にたどり着いた。真っ白な砂浜に、見渡す限り青く広がる水平線、そして山々がそびえる美しい景観…長次郎翁は購入を決め、すぐさま造園に取り掛かる。園内の小高い丘の中腹に建てた四畳半の小屋で寝泊りをし、自ら先頭に立って造園の指揮をとる毎日。澄んだ空気を吸い、景色を愛で、気分転換も兼ねて造園に明け暮れる日々は、大切な人々との語らいの時間でもあった。ときにはニッタの社員を招いて運動会を行うなど、仕事を後進に託した長次郎翁にとって温山荘園で過ごした20年は、思い出に彩られた晩年であった。特に陸軍大将であった秋山好古はこの地を愛した一人。大きな志を抱く長次郎翁と秋山翁は実業家と軍人という立場を超えて、日本の行く末のことなどを語り合ったという。温山荘園は一般にも開放されるようになり、海南市で生まれ育った人々が子どもの頃から慣れ親しんだ思い出の地として心に刻まれている。主要幹線道路沿いに位置するとは思えない、静けさに包まれた1万8千坪を誇る庭園には400本もの松が美しく繁り、主屋を中心に茶室、潮の香り漂う池〈※2〉の水際の緩やかな曲線が見どころ。モルタルで似せて作った擬石や擬木を園内の随所に配したり、主屋の扉や天板などに、ニッタが日本で初めて開発した最先端のベニヤ材を使用したりするなど、当時の新技術を積極的に取り入れた長次郎翁。その想いはニッタの基本理念である「発明・改良・円満」として、今もなお息づいている。      益財団法人としてニッタが管理・運営。※1:新田長次郎はニッタ株式会社の創業者。現在は公※2:温山荘園は海からひいた池の水が潮の干満に応じて上下する潮入式池泉回遊庭園。1_9mという長さから西日本随一といわれる青石の一枚岩の橋。 2_浜座敷の襖絵。引手には“コウモリ”のモダンな意匠が。 3_「温山荘」の名称は翁の求めに応じた東郷平八郎元帥が翁の雅号「温山」より命名。 4_庭園に海からの涼しい風を送るために手掘りされたトンネル。長次郎翁のお孫さん(現オーナー)が洞窟内で昼寝をしたこともあったという。 5_園内に多数観られる“擬石”。平らに加工することで、来園者の足元が安定する配慮も。 6_昭和11年8月当時の平面図。長次郎翁が亡くなる直前のもので「新田別荘」の記載がある。新田長次郎(温山)翁の銅像。本学園三恩人の一人で本学の前身である松山高等商業学校の創設に際し、設立資金として巨額の私財を投じた。海からひいた池の水が、潮の干満に応じて上下する潮入式池泉回遊庭園。渡り石が沈んだり浮き出したりする。12CREATION〈No.175〉 2012 Autumn琴ノ浦 温山荘園和歌山県海南市船尾370(JR海南駅前より和歌山バス「琴ノ浦」下車)☎073-482-0201開園時間/9:00〜17:00休園日/月曜(祝祭日の場合は開園、翌日休)12月1日〜翌年2月末日入園料/大人(中学生以上)400円※主屋・茶室の見学は要予約

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