Creation-176号
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志立大学行派の主張は、一二〇年以上の時を経てもなお、私たちの心に強く響くものがあります。梅謙次郎の反論を星野博士の資料集でお読みいただくと、なおいっそうその響きは、強くなると思います。以下、ごく一部ではありますが、梅の反論をお示しします。 「我輩ハ信ズ父ニシテ子ヲ餓死セシメ子ニシテ父ヲ餓死セシムルモノアランヨリハ寧ロ子ヲシテ父ヲ訴ヘシメ父ヲシテ子ヲ訴ヘシムルニ如カスト豈ニ之レ(養料給付義務―古屋注)ヲ法律ニ規定シテ風俗為メニ頽廃シ之レヲ法律ニ規定セズシテ風俗為メニ敦厚トナルノ理アランヤ」(前掲書二四〇頁) ところが、施行が延期された旧民法典を修正して新民法典(明治三十一年民法典)を編纂した法典調査会(明治二十六(一八九三)年四月設置)は、延期派の主張を容れず、旧民法人事編二六条および二七条と同様の規定を起草しました。次号、この理由を探っていきます。たが、この梅の留学を外交官として支援したのが、本学三恩人の一人である加藤拓川です)も、「法律上養料給付義務を親子に課さないことから親が子を餓死させ、または、子が親を餓死させるという結果が生じるよりもむしろ、法律がこの義務を親子に課すことにより、子が親に対して養料給付の訴えを、親が子に対して養料給付の訴えを提起することができるほうが断然よい」(前掲書二四〇頁参照)と反論しています。 しかし、民法典論争が全体として延期派の勝利に終わったことから、親族間の養料給付義務が規定されていた旧民法人事編もまた、施行延期となってしまいました。 断行派は、養料給付義務の法律化は親族間の徳義に基づくものであり、親族から経済的給付を受けられず不幸な死を遂げる者が出ることを避けようとするものであると説きました。悲惨な児童虐待等のニュースにしばしば接する今日、断掲書一七六頁参照)といった批判を展開し、上の規定を含む旧民法典の施行(明治二十六(一八九三)年一月一日)を修正のために延期するべきだと主張しました。 これに対して、断行派は「旧民法は、親孝行をせず父母の困窮状態を放置する子の存在を許さないとして、むしろ親孝行を奨励するものである」(前掲書一二五頁参照)とか、「法律上養料給付義務を課すことにより親子兄弟が飢死や凍死をしないで済むのであれば、法廷で親子兄弟が相争うことなどは取るに足りない些細なことであり、この義務の法律化は、通常の倫理に基づくものである」(前掲書二二七頁参照)と反論し、旧民法典を予定どおり施行する(即時断行する)べきであると主張しました。旧民法典施行延期後に法典調査会民法起草委員の一人として明治三十一年民法典を起草した梅謙次郎(梅のフランスおよびドイツ留学(明治十九(一八八六)年から明治二十三(一八九〇)年まで)の成果は、明治三十一年民法典の起草に大きな影響を与えましして当然であり、道徳を重んじる日本の風習に適するとされたのです。 しかし、延期派は上の規定について「養料給付義務を法律化することは、父母に対して経済的給付をしさえすればよいという子を生み出すことになり、子に親孝行の観念を失わせることになる」(星野通編著『民法典論争資料集』(日本評論社、昭和四十四(一九六九)年)一二五頁参照)とか、「経済的給付をめぐって親子兄弟が法廷で相争うことになり、親族間の徳義が廃すたれることになる」(前 それでは、民法典論争において延期派と断行派が具体的に何について争ったのか、星野通博士の研究を参考にして見ていきます。星野通博士が紹介している争点のうち、「『親族間の養料給付義務』の法律化の可否」という一つの争点から観察したいと思います。 旧民法人事編二六条および二七条は、直系親族や兄弟姉妹に相互の養料給付(扶養)義務を課していました。この義務を認めることは、自然の道理と文:法学部准教授  古屋 壮一延期派と断行派の主張(親族間の養料給付義務を例として)時空を超越して私たちの心に響く断行派の主張延期派の主張、採用されず3号館前にある加藤恒忠(拓川)の胸像の碑文。星野通博士によって作成された。星野博士は、司法省法学校に法律学を学び明治31年民法典起草者の1人である梅謙次郎の留学を支援した拓川に対して、敬愛の念を抱いていたであろう。『星野通博士(松山商科大学第二代学長)の 民法典論争研究(二)』その8History of Matsuyama Universityof 90 years〜松山大学の九十年〜13CREATION 〈No.176〉 2013 Winter

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