CREATION_177号
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法典調査会における審議と延期派の沈黙『民法典論争資料集』の意義明治二十五(一八九二)年十一月二十四日に民法及商法施行延期法律が公布されたことを受け、時の内閣総理大臣伊藤博文は、翌明治二十六(一八九三)年四月に法典調査会を組織しました。起草委員に穂積陳重、富井政章および梅謙次郎の三人が任命され、この三人が、旧民法典の修正案を起草することになりました。三起草委員は、民法第四編親族の第八章「扶養ノ義務」の規定について、明治二十九(一八九六)年四月十五日に開催された第一六五回法典調査会で原案(「甲号議案」といいます)を示しました。まず、この第八章の表題について、富井政章起草委員は、わが国では親などを自分の家に引き取って養うこと(引取扶養)も多々行われており、旧民法のよている子がおり、故郷にいる親がうに「養料ヲ給スル義務」と表現してしまうと引取扶養を排除してしまうことになるから、引取扶養と金銭扶養の両者の意味を併せ持つ『扶養ノ義務』とした旨を説明しました。そして、甲号議案九五八条によれば、扶養義務者は、金銭扶養と引取扶養を選択できる(ただし、正当な理由があるときは、扶養権利者の請求により裁判所が両者のいずれかを定める)とされていました。富井起草委員は、仮に引取扶養だけを規定すると、たとえば学問を修めるために東京に出てき東京に出てくることができないような場合に不都合があるため、やはり金銭扶養も規定しておき、どちらを選択するかを扶養義務者に委ねるほうがよいと説明しています。甲号議案九五八条は、法典調査会で承認され、明治三十一年民法九六一条へと引き継がれました(現行民法八七九条がこれに対応しています)。こうしてみると扶養義務者は、金銭扶養義務(旧民法の「養料給付義務」)または引取扶養義務のいずれかを負うのであり、「養料給付義務」は、結局法律化されたことになります。延期派の主張はこの点では、採用されませんでした。ここで不思議なのは、法典調査会には穂積八束や村田保に代表される延期派の委員が多数いたにもかかわらず、『法典調査会民法議事速記録』によれば彼らは「養料給付義務」の法律化について批判的な発言をしていないことです。これは、『民法典論争とは何だったのか』ということと深く関係しているように思われます。もちろん、三起草委員が延期派に配慮して引取扶養義務についても法律化したとみることもでき、延期派の主張が明治三十一年民法典の起草に影響したといえるでしょう。さらに、扶養義務者について三起草委員は、旧民法人事編二六条や二七条と同様、主として直系血族および兄弟姉妹としました(甲号議案九五一条、同九五二条)。この甲号議案九五一条と九五二条に関する法典調査会の審議にあたっても、延期派は、何ら反対意見を述べませんでした。結局、甲号議案九五一条と九五二条は、法典調査会で実質的に承認され、明治三十一年民法九五四条と九五九条二項に反映されました。そしてそれは、修正を受けつつも基本的には維持され、現行民法八七七条一項に引き継がれています。星野博士の『民法典論争資料      集』があるからこそ、民法典論争当時に発表された延期派の論文や意見書を東京の大学等で探し回らなくても(今でも全部収集するのはかなり大変です)、簡単に読むことができます。そして、旧民法典修正作業にあたり延期派への配慮があったために、「養料給付義務」よりも広い「扶養義務」に対応した規定が現行民法典に置かれていることが分かります。現行民法典を理解して解釈する上で、この資料集は極めて重要な役割を果たします。また、現行民法典の理解を前提とすべき(債権法を中心とした)その改正作業が現在法務省において行われていることもあり、博士の研究は、再び高く評価されているのです。法学部は今年三月、精度をさらに高めた博士の資料集の復刻増補版を世に送りました。本学図書館等で博士に出会っていただければと思います。 文:法学部准教授〜松山大学の九十年〜古屋壮一 今年3月に日本評論社から刊行された星野通編著(松山大学法学部松大GP推進委員会増補)『民法典論争資料集』〔復刻増補版〕である(ISBN978-4-535-51959-6)。博士が収集できなかった資料を補遺として新たに収録し、原典との不一致を対照表等にまとめた。全国主要書店で取り扱われている。1919(松山商科大学第二代学長)の民法典論争研究その9星野通博士(三・完)大大学学志志立立

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