CREATION_177号
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松山大学クロニクル松山高等商業学校創立から2013年3月に至るまで、輩出された卒業生は約6万8000名。1923(大正12)年に開校し、激動の昭和を経て90年。平成の今日までの歴史を振り返り、松山大学を創り上げた先駆者たちの物語をひもとく。創立90周年記念特集学生や関係者135名が集合し、本館前で撮影した開校式の記念写真。新田長次郎(温山)翁、加藤彰廉先生のほか、司馬遼太郎著『坂の上の雲』で有名な秋山好古氏、伊予鉄社長で本学理事・井上要氏、第三代校長となる田中忠夫先生の姿もある。松山で最初の鉄筋コンクリート造だった新校舎。(1924年4月)「志立大学」(P.19)にも登場する星野通博士の授業風景。(1936年)松山商科大学時代の正門(1975年頃)。東本館や温山会館はまだなく、門構えも今と異なる。55CREATIONCREATION 〈No.177〉 2013 Spring(平成18)年薬学部設置。5学部6学科を有する総合大学へ薬学教育6年制時代の幕開けとともに、本学初の理系学部として薬学部医療薬学科を新設。「薬剤師の育成」という使命のもと、高度化する医療現場のニーズに対応できる質の高い薬剤師の養成を目標としている。これにより西日本屈指の私立総合大学として、社会に有為な人材の育成と地域貢献を目指し、今日まで歩んでいる。地上10階、地下1階の堂々たる薬学部棟。(大正12)年「松山高等商業学校」開校2月に財団法人の寄附行為認可を受け、その年の4月25日に開校。ただ本館が建設中だったため、当初は隣接する北豫中学校を間借りして授業を行っていた。1924(大正13)年4月には本館が落成し、同年10月10日に記念すべき開校式を挙行。本館を万国旗で飾るなど、厳粛ななかにも晴々しい1日だった。この佳き日を迎えられたのは、ひとえに「三恩人」の尽力によるものであり、松山大学の歴史はここから始まった。開学から90年。初代校長・加藤彰廉先生が唱えた「真実」「実用」「忠実」の校訓「三実」は100年へ向けて、脈々と受け継がれている。(平成元)年松山商科大学から「松山大学」へ1944(昭和19)年「松山経済専門学校」に改称、1949(昭和24)年「松山商科大学」に昇格と、幾多の変遷を重ねてきたが、1974(昭和49)年の人文学部設置、1988(昭和63)年の法学部設置を経て「松山大学」へと名称変更。同時に、松山商科大学短期大学部も「松山短期大学」へと名称が変更された。松山大学の歴史を語る3つの節目200619231989

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