Creation-178号
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により公共交通機関で移動できる、いわゆる中学校区で区切ろうとしたものです。平成11年〜平成22年にかけて行われた平成の大合併は、「自治体を広域化することによって行財政基盤を強化し、地方分権の推進に対応する」が目的として掲げられました。しかし市町村を広域化すればするほど周辺部は市街地の中心から離れ、住民の声が届きにくくなってしまいます。目的が掲げられこそしましたが、そこに明治・昭和の大合併のように明確な必然性が感じられないのです。 地方自治のグローバルスタンダード化を謳い、ヨーロッパ統合の原理と原則を日本にも持ち込もうとする動きがありますが、国の成り立ちも国柄も違う外国の原理と原則は日本では通用しません。顔と名前が一致しているところでサービスを提供すること、多様性を最大限に尊重することが本来の地方自治のあり方で、自発的に試行錯誤しながら手探りで積み上げていくしかないのです。合併はその方向に逆行することであり、ましてや道州制の導入については疑問視せざるを得ないと思っています。 今後は「平成の大合併」のもたらした正負の影響を自治体当局に訪問し、調査するなどの方法で一層詳細に分析して、その功罪を明らかにしていきたいと考えています。 地方自治の仕組みがどうであれ、運用するのは現場の人たちであり、住んでいる人たちです。お役人たちが机上で論じていることをそのまま当てはめるのには限界があります。これからは国に頼るのではなく、自治体ができることは自治体で、民間でできることは民間でやっていくことが必要なのです。 松山大学法学部に奉職して今年で24年目になります。合併前の12市44町14村の当時からいろいろな審議会の一員として参加してほしいという要請があり、合併後の現在も末席を汚し 最近では日本型の中央集権的な地方分権改革の流れを慎重に検証することと、そのなかで「上(国)から」短期間に一気に断行された「平成の大合併」を分析しながら、これからのわが国にとって望ましい地方自治の「しくみ」と「はたらき」とは何かについて、国内外の地方自治状況を比較検討しながら、多角的に模索しているところです。すでに、これまでにも『市町村合併の論理と情動―「平成の大合併」の遺したもの―』(2007年)と、それに加筆修正を加えた『合併の論理と情動―検証「平成の大合併」―』(2009年)で、明治維新以降の日本における市町村合併の歴史的沿革を検証してきました。 明治の大合併は歴史の大きな転換点でもあり、国家的な統一を図ろうという目的のもと、バラバラに点在していた村落共同体を市町村とし、住人に細かい配慮をした合併でした。昭和の大合併はモータリゼーションの発達次の社会の単位になってくるという“下から積み上げる国づくり”ですが、日本は天下統一が先にあっての“上からの国づくり”が行われてきました。現代の日本の構造はイギリスとアメリカのハーフのような妥協の産物になっていて、イギリスが地方自治の母国だといわれてもピンとこないのです。言語も習慣も違う区域が集まってできたイギリスの“連合王国”の長い歴史のなかで、少しずつ育んできた、極めて分かりにくい地方自治の法制度を、なぜ日本にとって『お手本』にする価値があるのかさえ分からなくなってしまったのです。 私は著書の中で「日本型地方自治」という言葉を使っていますが、日本には他国をそのまま手本にすることができない、オリジナルの地方自治の仕組みや働きができていると思っています。現場から「しくみ」をつくる「合併の論理と情動 ― 検証『平成の大合併』―」(2009年3月)、「最新解説 地方自治法」(2011年3月):両書とも㈱ぎょうせい刊、妹尾克敏著。市町村合併からみる地方自治のあり方ております。それら自治体の現場に足を運ぶたび、新聞やテレビ等のメディアの伝えるところとはまた違った様相を実感することができます。私の発言や見解がそれらの自治体運営の何らかの参考になったり、「むらおこし」や「まちづくり」のヒントを汲み取ったりしていただければ、研究者冥利に尽きるというものです。また職員研修や議員研修などの機会を与えられると、私自身の書いたものとともに若干のお役に立てているのではないかと思うこともあります。そして何よりも、私の講義やゼミを聴いた卒業生諸君が各自治体はもとより多方面で活躍しているのを見聞するにつけ、その歓びはひとしおです。8CREATION 〈No.178〉 2013 Summer

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