CREATION-194号
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ときに選んだテーマが「ディケンズと歴史」だったのです。直接的なきっかけの一つに、A・S・バイアットの小説『抱擁』を読んだことがあります。『抱擁』には、2人の文学研究者が19世紀の桂冠詩人を巡る謎の解明を試みる様子が描かれていますが、それと同時に、資料をもとに解明された過去、すなわち歴史など結局のところ作りものに過ぎないのではないかという疑問が提示されています。この疑問は前々から問われていたものですが、『抱擁』を読んだことで、歴史について、文学研究者の立場から吟味してみたいと思うようになったのです。 考えてみれば、以前から文学研究の対象にしていたイギリスの19世紀は「歴史の時代」でした。18世紀末にフランス革命が起こり、ヨーロッパが未曾有の混乱に陥るなかで、人々は歴史の変化は本当に起きるのだと実感し、先祖が歩んできた過去に興味を持つようになりました。ウォルター・スコットの歴史小説がイギリス内外で大流行し、後続の作家たちも小説を通して歴史と向き合いました。その流れのなかに、ディケンズもいた。そこから私の博士論文執筆は始まったのです。イギリス人にとっての「ディケンズと歴史」 研究者が「ディケンズと歴史」について解明するのは、ディケンズが作品の内外で歴史をどのように描き、歴史に関するどのような考えを表現しているか、同時代の別の作家とどのような共通点や相違点があるか、同時代の歴史家や一般の人々がどのような歴史意識を持ち、そういった観方にディケンズがどう反応しているか、などといった点です。現在の小説家や歴史家が歴史をどう扱っているかについて、またフランスや日本の場合について射程に入れることもあります。 その一方で、現在の一般のイギリス人にとっての「ディケンズと歴史」は、ディケンズを通してヴィクトリア時代という過去を想起することだと言えます。客員研究員としてロンドンに滞在していたとき、その様子を見聞しようと、オフタイムを利用してあちらこちらに出かけました。そのうちの一つが、ロンドン北部のウォ方が朗読するというイベントが行われていたからです。この救貧院が舞台になっているわけではありませんが、『オリヴァー・トウィスト』はディケンズが救貧院の惨状を生々しく書き込み、1834年の新救貧法を痛烈に批判した作品です。ヴィクトリア女王もこの小説を愛読し、「何とか状況改善できないか」と大臣に詰め寄ったという逸話も残っています。つまり、この小説が朗読されるのを聴けば、聴衆はその場所が社会的弱者の収容所だった過去を、より鮮明に想起することができます。文学を研究するとは 文学研究は語学力と読解力に裏打ちされた総合力、そして、広範にものを観る目を必要とする分野だと、私は思います。前項で触れたように、「ディケンズと歴史」を研究する場合、彼の歴史小説を読むだけではなく、当時の一般的な歴史意識など、様々な要素を射程に入れて分析します。ディケンズの歴史意識を抽出するために、ディケンズの全体像を把握する必要もあります。例えば、彼の社会改革者としての側面や、精神分析の父フロイトを感嘆させたほど、人間心理に対する洞察力を持っていた点などに注意を払いながら、彼が過去をどのようなものだと考えていたのかを分析するのです。ディケンズのそのような特徴を実証するときに、同時代の社会状況や人間心理に対する一般的な認識について理解しておかなければならないことは言うまでもありません。 ちょっとした言葉の機微に気づくのは感受性ですが、それを研究へと深めていくためには論理性が必要です。空想小説的な読み物であっても、それが読み継がれているのであれば、そこには何らかの論理があるはずです。その糸口に気づいた後、隠された論理を探り出し、論文として組み立てるために、研究者は論理的でなければなりません。教育者としての立場から言うなら、授業で文学を扱うことは、視野が広く論理的な人を育てることに通じると思います。ルサムストーです。ここには、かつての救貧院を改造した博物館があり、毎週日曜に、ディケンズ初期の代表作『オリヴァー・トウィスト』を、アマチュア劇団の矢次教授がロンドンでの客員研究員時代に撮影した写真の数々。フィクションオーディエンス4CREATION NO.194 2017.7

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