CREATION_204号
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家業を継ぐ自覚とともに過ごした大学時代明確な目的を持って選んだ自分の進路変革期を乗り切って次の時代へ歩み進める地元に根ざして創業100年、特産品「松山あげ」の程野商店に生まれ、早いうちから〝将来は経営者になる〟という自覚があった程野さん。「経営について勉強したい」と、松山商科大学に進学。その当時は家内制手工業だった家業を手伝いながら通う大学は、高校までと違って自由で、学生たちが生き生きと輝いて見えたそう。「キャンパス内にあった喫茶エブリィが社交の場。県内外から来た学生みんなとすぐに仲よくなれました。自由を満喫しすぎて1年の前期に単位をすべて落とし、何事も自分で判断して決めないといけないと強く自覚。そこから心を入れ替えて必死で勉強しました」と笑う。簿記やキャッシュフロー、資金計算など、学んだことは仕事のベースとして今に通じているという。  卒業後そのまま家業に就いた程野さんだったが、ちょうどその頃、家内制手工業から工場制機械工業へ変革するかどうかの岐路に立っていた。「松山あげの材料である豆腐を切るのは熟練の技術が必要でしたが、職人は減る一方で、何とか機械化したいと考えました。試行錯誤と挫折を何度も繰り返し、やっと完成したときは本当にうれしかったです」と振り返る。機械化の成功が事業拡大に結びつき、2002年に程野さんが社長に就任した頃には、程野商店は押しも押されもせぬ企業へと成長を遂げていた。その過程には、大学時代から続く人間関係に助けられたこともたくさんあったという。松山の郷土食を支える企業として、その企業の経営者として、程野商店と程野さんのさらなる躍進を祈念したい。後輩へのアドバイス学生時代プレイバック 1982.4〜1986.314CREATION NO.204 2020.1HODONO Yuki1986年3月経営学部経営学科卒生き方は人それぞれ、好きこそものの上手なれ。好きなことを見つけて仕事にできるのが一番ですが、100%思い通りにいかないこともあります。一度始めたことは興味を持って好きになること、何事もチャレンジしてみることが大事だと思います。海外 ● ロス五輪開幕 共産圏15カ国不参加、ゴルバチョフ・ソ連書記長就任、プラザ合意 ほか国内 ● ロッキード事件判決、東京ディズニーランド開園、グリコ・森永脅迫事件発覚、日本初のハレー彗星探査機打ち上げ、日本初のエイズ患者認定、男女雇用機会均等法が成立 ほか学内 ● 創立60周年、御幸総合運動施設第1期工事完成・落成式 名称「御幸キャンパス」 ほか株式会社 程野商店代表取締役社長程野 裕貴 さんOB Interview

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