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図書館

第21回(2021年度)松山大学図書館書評賞

受賞者<2021年12月1日発表>

最優秀書評賞:該当者なし

該当者なし

優秀書評賞:今村 麻衣さん(人文学部社会学科3年次生)
「天国はまだ遠く」 瀬尾 まいこ 著
出版社:新潮社 出版年:2006 請求記号:081||S 15||8061
 

「本当に終わりにするのだ」。主人公の自殺から展開される本書は、自殺という深刻な問題を扱いながらも、主人公の心情を鮮やかに描いている。

主人公の田中千鶴は23歳の会社員。仕事もうまくいかず、生きることに疲れて自殺を決めた。自宅から遠く離れた民宿に泊まり、睡眠薬を大量に飲んで自殺した、はずだった。丸一日以上眠りに落ちた後、千鶴は目を覚ます。自殺は失敗に終わった。しかし、千鶴が感じたのは「もう死ぬのは嫌だ」という思いだった。死ぬために訪れた山奥の自然に恵まれた木屋谷という集落、そして千鶴が自殺を決行した夜に泊まった、民宿たむらを管理する田村との出会いが、千鶴を死から生の方向へと導くことになる。

木屋谷は時間に追われる現代人が生きる環境とは程遠く、ゆったりと時間が流れる集落だった。民宿にはテレビもなく、ラジオもない。あるのは大自然だけ。無数に立つ木々、目が眩むほど輝く太陽、色んな音を運んでくる風。こうした壮大な自然の中にいると、千鶴は今まで悩んでいたことが小さく思え、考えることを忘れてしまうのであった。

民宿を管理する田村は、30歳の男で身なりも気にする様子がないが、よく笑う。田村は、千鶴に強引ながらも様々な体験をさせた。海に釣りに出かけたり、鶏小屋の掃除をさせたり。泳げないし動物も好きではない千鶴は、戸惑いながらも必死でそれらを乗り越えた。そして、海のとてつもないエネルギーや命の尊さを知る。

20日ほど民宿に滞在した千鶴は、自分がいるべき場所はここではないと感じ、帰ることを決める。木屋谷から旅立つことを決めたのだ。その際、集落の近くにある自殺の名所、眼鏡橋を訪れる。谷底を覗き込んだ千鶴は怖いと感じ、飛び降りようとは思わなかった。

千鶴は「たった一ヶ月足らずの時間だけど、その間に自分の中の何かが溶けて、違う何かが息づいたように感じる」という思いを抱く。一ヶ月にも満たない間に、一度は自殺したほど追い詰められた心を変化させたのは何か。千鶴は集落にいた間、毎日集落でとれる美味しい食材を食べ、心地よい疲れでぐっすりと眠り、自然に囲まれて生活した。これらは生きる上で大事なことだが、続けるのは難しい。こうした木屋谷での生活や田村の不器用な優しさが、千鶴の心に変化をもたらした。また、メールでは淡々とした対応しか見せなかった恋人の久秋が、手紙を出しただけで遠く離れた民宿を訪ねた場面からは、メールとは違う、手紙の持つ不思議な力を感じさせる。

本書は主人公が自然や田村に対して抱く感情を通して、生きることの本質、本当に大切なものは何かを教えてくれる。身の回りは電子機器や情報で溢れている現代だが、毎日ブルーライトに照らされてばかりではなく、自然の中で太陽の光に照らされるのも大事なのかもしれない。本書は、人生に疲れた人たちの心を救ってくれるに違いない。私たちにとって、天国はまだ遠い。

 

審査委員による講評

審査委員 人文学部講師 吉武 理大

書評の書き出しは、主人公が自殺を決意した際の言葉から始まり、書評の最後は、本のタイトルに関連させ、「私たちにとって、天国はまだ遠い」というメッセージで終わる、全体の構成がよく工夫された書評となっています。また、読み手に対して、小説のあらすじが鮮やかに伝わる文章を書くことができています。

主人公が木屋谷という場所で、さまざまな体験をし、心に変化をもたらすような大切な時間を過ごした一方で、「自分がいるべき場所はここではない」と感じ、帰ることに決めたのはなぜでしょうか。また、書評の最後に書いている、「本当に大切なものは何か」という問いについても、さらに考察をしてみるとよいかもしれません。

優秀書評賞:永山 嵩都さん(人文学部社会学科1年次生)
「西の魔女が死んだ」 梨木 香歩 著
出版社:新潮社 出版年:2017 請求記号:913.6||Na
 

「生と死」というのは人間と切っても切り離せない縁がある。産声を上げて誕生し、様々なことを経験する。そして最後には死ぬ。この人間にとって当たり前のことを深く考えたことがあるだろうか。そして、今、自分はこの瞬間を後悔なく生きることができているのだろうか。答えることが簡単そうで、答えの見つからない問いを本書は私に考えさせた。

主人公のまいは、中学校に上がってすぐに学校に行けなくなっていた。そこで母は、まいに祖母と共に暮らすことを提案する。祖母のことが大好きだったまいは、それを喜んで受け入れ、新たな場所での生活を始めた。落ち着いた日々を過ごしていたある日、祖母は、まいにあることを打ち明ける。自分には『魔女』の血が流れていると。しかし、本書での『魔女』は、黒い服を着て、ほうきに乗って移動するというようなものとは少し違う。人が生きるために役に立つ知識や能力を身につけ、それを多くの人のために行使するというものなのだ。その話を聞いたまいは、『魔女』に対して憧れを持ち、『魔女』になるためのトレーニングを始める。そのトレーニングは変わったことは何もしない。早寝早起きの習慣をつけ、午前中は掃除や洗濯などの家事、午後からは自分で時間割を決めて勉強と誰もがやったことのあるようなことである。それを続けることによってまいが成長していくと同時に、目の前に立ちはだかる壁に立ち向かっていく姿が様々な風景描写とともに描かれている。

本書には、まいと祖母の会話が多く描かれている。祖母が自分の体験を含め、たくさんのことをまいに伝えるのだが、自分の意見を押し付けることは一切ない。むしろ、まいに何をすべきか考えさせ、辛抱強く続けるよう促している。自分で何をすべきか考え、行動することは簡単なことではない。それを実行し続けることはより難しい。ただ、『魔女』は、自分で道を決め、地道な努力を続けること、そうすれば今まで見たことのない自分を見つけることができると言う。これは、今を生きる私たちに結び付くであろう。『魔女』はまいにだけでなく、本書を読む私たちにもメッセージをくれているのである。

本書を読んで、今生きるこの瞬間がどれだけ貴重なものであったかを強く実感した。また、読後には、自分の中での「生きる」という行為の価値が大きく変わったとも感じている。本書は自分を大きく変えた一冊となった。物語自体が長いものではなく、誰でも読みやすいものになっている。さらに、鮮やかな描写が数多く存在するため、想像しながら読むと物語に引き込まれるような感覚になる。ぜひ多くの人に『魔女』からのメッセージを受け取ってほしい。

審査委員による講評

審査委員 経済学部准教授 小西 邦彦

タイトルの「魔女」という言葉からファンタジーを連想させますが、本書はそういった類のものではありません。こうした点も含めて、本書の概要が分かりやすく書評にまとめられているといえます。そして、評者の視点で本書の魅力が書かれており、この書評を読む人達に本書の良さを伝えることができていると思います。

また、書評としての完成度を上げるためのアドバイスとして、
 (1) 主語のすぐ後ろに必要のない読点が多いので見直す。
   (読点は主語が長いときや主語を強調したいときのみにする。)
 (2) 最後の段落が個人の感想という印象があるので、より客観的な視点で書く。
この2点を意識するとより良い書評になるのではないかと思います。

佳作:白石 美結さん(人文学部社会学科1年次生)
「あつあつを召し上がれ」 小川 糸 著
出版社:新潮社 出版年:2011 請求記号:913.6||Og
 

このご時世、「食べること」が私たちに一日のほっこりする時間を過ごさせてくれるだろう。「あつあつを召し上がれ」と書かれた表紙を見て、どのような美味しい食べ物を召し上がる話が広がっているのだろうかと興味を持ち、この本を手に取った。

本書は、思い出のごはんを通して家族や夫婦、恋人たちの7つの人生の物語が書かれている。本書を読み終わる頃には、小川さんの温かい言葉に身も心もほかほかになっているだろう。この中で私がぜひ読んでほしいお話を三つ紹介する。

一つ目の話は、認知症の祖母と孫の話である。老人ホームに入所したことがきっかけとなり、祖母は食事をとらなくなった。その祖母のためにも孫のマユは祖母との思い出の富士山のかき氷を届けてくれる。すると、祖母はかき氷を食べてくれた。祖母と娘、祖母の介護をしている母の3人でかき氷を食べた後に幸せな空間が広がっている。旅行先で食べた美味しかった食べ物を想像して、共に訪れた人と思い出話をしたくなる。

二つ目の話は、主人公の珠美が恋人と彼の行きつけである中華街で一番汚い店に訪れるお話である。その店は一見、看板がなければ営業していると思えない外観である。しかし、店内に入るとおいしそうな香りに包まれ、活気のある店だと確信する。恋人にメニューを任せ、店のおばさんがタイミングよく一品一品運んできてくれる。ビールとしゅうまい、ふかひれのスープ、恋人の父がこよなく愛したぶたばら飯。食事を終えると、彼が珠美にプロポーズをする。なぜ彼がこの中華街で一番汚い店で告白したのか。そのきっかけとなる恋人の両親が彼のために残したパートナーを決めるための決め手となる言葉がとても素敵である。思い入れのある大切な場所へ大切な人と訪れたくなる話となるはずだ。

三つ目の話は、主人公の私とその恋人が別れることを決断して、お別れの最後に能登へ温泉旅行に行くという話である。季節は秋で、松茸のフライやすき焼き、デザートの梨など秋に食べると美味しい食材がたくさん登場する。恋人との最後は最高の朝食を味わってお別れする。少し寂しい旅の話だけれど、素敵な空間で過ごす大切な人との時間は読者を温かい気持ちにしてくれる。食の秋の始まりである今、この話を読んで秋への気分を一足先に感じてほしい。

他にも父子家庭で娘が幼稚園児の頃から毎朝今は亡き母から伝授されたお味噌汁を手作りする話、主人公の私が夫のショー造さんに恋をするきっかけとなったハートコロリットの話、父の四十九日にきりたんぽをつくる話などがある。登場人物と食べ物の間にどのようなつながりがあるのだろうか。

本書は、小川さんの食べ物の表現と物語の展開に凄さを感じる。食卓を大切な人たちと囲み、読者がほのぼのとした気分になったところで、思いがけない仕掛けがあり、深い感動へつながる。人生と食を味わい、小川さんの読者を惹きつける言葉に触れてほしい。

 

審査委員による講評

審査委員 経済学部准教授 小西 邦彦

本書は「食事」をテーマに7つの物語が収録された作品です。書評ではそのうちの3つの物語について分かりやすくまとめられており、実際に読んでみたいと感じました。そういった意味で書評として良いものであると思います。

また、書評としての完成度を上げるためのアドバイスとして、批評部分がやや弱いと感じました。食レポなどで「美味しい」と言うだけでは伝わらないのと同じように、なぜ面白いのかが多くの人に伝わるように、より客観的な視点で書くことを意識してみてください。

佳作:二宗 洋輔さん(経済学部経済学科3年次生)
「ライ麦畑でつかまえて」 J.D.サリンジャー 著
出版社:白水社 出版年:1984 請求記号:933||S 13||1n
 

「無茶苦茶にしておいで」

私が幼い頃、緊張している私にいつも父がかけてくれた言葉である。本書を読み終えた時、その温かくも力強い言葉を思い出した。

物語は主人公のホールデン・コールフィールドが成績不振により放校処分となり3日間かけてニューヨークにある自宅に戻るまでが口語的な文体で叙述される。本書ではホールデンは友人や出会う人々によって大きく成長する。ホールデンは裕福な家庭で育ち、純粋であるが故に多くのことに反発し、時にはそういう態度を装う。特にホールデンは無神経さ、欺瞞、利益追求主義に嫌気がさしていた。また常に心が揺れている少年で、周りの登場人物から見れば分かりやすい落ちこぼれである。しかし、彼なりのふとした時に見せる前向きな心は行動力へと変わり、ホールデンは人と向き合うための努力を怠らない。

物語の終盤、一度家に帰りすぐヒッチハイクで旅に出るホールデンは妹のフィービーと別れの挨拶をする時、何になりたいのかを問われこのように答える。

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ」

この言葉は直観的には理解しにくい。しかし、本書を読めばホールデンにできなかった「夢中になるものを見つけてそれに向かってひたすら走って欲しい」といったメッセージが読み取れる。また若年層の読者、フィービーに自分が叶えられなかった上記の理想を叶えるまで見守りたいという優しさが現れた言葉である。 本書は、著者であるサリンジャーが第2次世界大戦中に書かれたものである。サリンジャーは第2次世界大戦後、従軍していたということもあり精神の病にかかってしまう。ホールデンがフィービーに放った言葉の世界観は大戦中のアメリカとはかけ離れており、読者もその時代に書かれたものとは思わないだろう。悲惨な戦争の中書かれたこの本から平和な時代に夢を追えることの尊さも感じ取ることができる。

また本書は不自由ない環境に生まれ、それ以上を求めない若者の背中を押してくれる一冊だろう。デジタルが発達し、過度なプライバシーの透明化も問題視されている中、あまり派手な行動は避けて現在の状況に不満も漏らしつつも異を唱えない若者も多い。ホールデンのもがきながらも前に進む姿は心の中の枠組みを取っ払ってくれる。情報機器が発達する中、忘れ去られそうな知識と行動はどちらも重要であるということを思い出させてくれる。

 

審査委員による講評

審査委員長 法学部准教授 甲斐 朋香

堅実な書きぶりで、しっかりと本の魅力を伝えています。

本が書かれた当時の社会的な背景にも目を向けているところもよいと思います。一冊の本をいわば「心の窓」として、思考を拡げるという読書の方法は、心を耕し、心豊かに生きるための糧となってくれます。

佳作:日野 朋楓さん(人文学部社会学科1年次生)
「人魚の眠る家」 東野 圭吾 著
出版社:幻冬舎 出版年:2018 請求記号:Lib||2018||に
 

あなたは何をもって死とするだろうか。

主人公である薫子には娘の瑞穂と息子の生人、別居中である和昌という夫がいる。瑞穂の小学校受験が終わると同時に二人は離婚を約束していた。ある日、子どもたちを薫子の実家に預け、二人は受験の面接講座に足を運んだ。その最中に娘がプールで溺れたという悲報が届く。医者からは脳死している可能性が高いことを告げられ、すぐに延命治療を行うか、臓器移植を行うかという決断をしなければならなかった。触ればまだ温かく、今にも目を覚ましそうな瑞穂を脳死判定し、臓器移植を行うことは薫子にとって娘を殺すということに思えた。医者の説明に対し、取り乱して意見を言う薫子に私自身、強く感情移入した。しかし、冷静に薫子を受け止める和昌の性格のおかげか脳死という重いテーマの小説に対して落ち着いて読み進めることができるだろう。二人は悩んだ末に延命治療を決断する。

そして時は立ち、瑞穂を自宅で介護し始めた頃に薫子は人生を狂わせる人物と出会う。その人物とは和昌の部下である星野という男だ。和昌は株式会社ハリマテクスという会社の社長であり、脳と機械を繋ぐことで障害を持つ人を支援するシステムを開発している。和昌は星野の研究に興味を持ち、薫子に瑞穂の筋肉を刺激して身体を動かすことを提案した。薫子は賛成し、星野が定期的に薫子の家に通うようになる。瑞穂の身体が動くたびに喜びを見せる薫子に星野は快感を覚える。自分がこの人を笑顔にしている、自分が必要とされている。このような感情を持った星野と娘を愛しすぎる薫子の思いはさらにヒートアップしていく。一見すると狂気じみた話だが、星野と薫子の持つ感情は誰しもが持つ感情なのであり、共感する読者も少なくないだろう。

また、小説の冒頭と末尾に同じシーンが描かれており、再度描くことでこの小説をさらに奥深くさせている。話を読み始めた時と読み終えた時では捉え方が変わるのだ。感じ方は多種多様であり、さらに読者は引き込まれていくだろう。

日本と世界では脳死と判断された場合の法律が違うため、日本で臓器提供を行う人は世界と比べると圧倒的に少ない。また、脳死というものは脳が機能していないだけで心臓は動いているし、体温も感じられる。何をもって死と捉え、どのように人生を生きるのか。このような人生における壮大なテーマを本書は脳死という誰にでも起こりうる病気を通して、我々に考え直すきっかけを与えてくれるだろう。

 

審査委員による講評

審査委員 人文学部講師 吉武 理大

「あなたは何をもって死とするだろうか」という問いかけから始まり、そのあと物語のあらすじが紹介されるという、読み手の興味を引く文章構成となっています。また、小説の最初と最後に同じシーンが描かれていることの効果についても、述べられています。

「何をもって死とするか」というテーマについて考え直すきっかけを与えてくれる本であるということなので、その点についてのさらなる考察があると、最初の問いかけに対する考察が提示されることとなり、より一層よい書評になると思います。

全体講評

審査委員長 法学部准教授 甲斐 朋香

今年度は単なるあらすじの紹介にとどまるものが多くて、応募件数は多かったものの、やや小粒の作品が目立ちました。

とはいえ、書評を書いてみる、という作業を通じて、読書の面白さやそこから思索を深めることの楽しさを味わってもらえるようになれば、幸いだと思います。

特に論説文などについては、著者の主張を丸呑みするのではなくて批判的・俯瞰的な視点でも検討してみたり、それが書かれた時代背景などとも重ね合わせてみたりしながら、評論を試みるのもよいと思います。

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