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図書館

第16回松山大学図書館書評賞

受賞者<2016(平成28)年12月1日発表>

最優秀書評賞:該当者なし

該当者なし

優秀書評賞:福丸 真生さん(人文学部社会学科1年次生)

インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで〔請求記号:081/B6/995〕
著者:岡田尊司 出版社:文藝春秋 出版年:2014

ネット依存症という言葉を知っているだろうか。これはネットに熱中するあまり、ネットを離れると孤独感や絶望感にさいなまれ、睡眠障害や生活リズムの崩れなどの症状に陥る状態である。スマホ依存もまた同義である。
 依存症というとどこか遠く、自分には関係のない言葉のように聞こえる。しかし、そうではない。これは私たちの「今」に直面している問題なのではないだろうか。昨今、様々な場面において小さな画面に向かう人々を見かける。
 本書では依存症の様々な実例から論理的に、依存が脳や日常に必要な機能を破壊していることを説いている。そして、依存が及ぼす大まかな問題を著者はいくつか挙げている。例えば、ネットの過剰使用による睡眠障害。また、文部科学省の調査により明らかとなった学業成績や職業機能の低下など。
 その中でも特に気になった問題が、ドーパミンの大量放出による遂行機能の低下である。これは、著者が最も危険視した問題だと私は思う。何故なら本書で彼は、スマホやネットはそれ一つで人間の基本的欲求を満たすと述べているからだ。ドーパミンは、歓び・興奮を感じたときに出るらしい。つまり、私たちが何気なくスマホで動画視聴や、LINEの確認などをしているとき、無意識にドーパミンは大量放出しているのだ。スマホやネットを通じて楽に快楽を得られるからこそ、脳は行為の反復とさらなる刺激を求めてしまうのだろう。現実の課題に向き合いたくなくて、スマホを触ったことはないだろうか。その時点で、優先順位はおきかえられ、遂行機能は低下していたのだろう。著者は、遂行機能は人間が生きていくうえでなくてはならないものだととらえている。そのため、とりわけこの能力の低下を危険視していたことが察せられる。
 またここで、覚醒剤や中毒の人の脳で起きていることと、ネット依存の人の脳で起きていることが基本的に同じと述べる著者の言葉が理解できる。しかしそう考えると、なんとも恐ろしいことである。今までの自分たちの何気ない行動が、実は危険なことだったからだ。
 勉強や社会に大きな利益をもたらすと叫ばれてきたネット。だが同時に、使い方次第ではいつか取り返しのつかない損失をしてしまうモノだと、私たちは本当の意味で理解する必要がある。
今、求める歓びや興奮のせいで大切なものや健康、時間、将来の可能性をダメにするにはこの先の人生は長すぎる。まずは著者の言う通り、自分は依存症になってないかと疑ってみることが大事である。失ってからでは遅いとよく言うが、確かにその通りだ。ネット依存症の恐い所はまさにそれである。この本は、自分にとって本当に大切なものは何かを気づかせてくれる一冊だ。

審査員による講評

審査委員 経済学部准教授 井草 剛

この書評は、「ネット依存症という言葉を知っているだろうか。」という用語からの平易な説明に始まり、「ネット中毒」がいかに恐ろしいものなのかを「衝撃」的に教えてくれます。文章は非常に落ち着いていて客観的ですが、「ネット中毒」というものを科学的にかつ自分の経験を交えて説明しているので、リアリティをもたせることに成功しています。中毒というと自分には関係ないような気もするでしょうが、この書評を読むと自分も「ネット中毒」なのではないかと書店に駆け込むことになるでしょう。移動中、また寝る寸前までスマートフォンを使用している現代人。きっと肝を冷やすことになるのではないでしょうか。

優秀書評賞:若原 百花さん(人文学部社会学科1年次生)

コンビニ人間〔請求記号:Lib/2016/こ〕
著者:村田沙耶香 出版社:文藝春秋 出版年:2016

「コンビニ人間」は第155回芥川賞を受賞した村田沙也加による小説である。作者自身も現在コンビニで働いており、そのことから着想を得てこの物語は生み出された。
 古倉恵子は36歳未婚の女性。彼氏がいたことはなく、大学卒業後も就職せず18年間コンビニでバイトをしている。古倉は普通の家に生まれたが、「普通」の子供ではなかった。幼稚園のころ、他の子供たちが死んだ小鳥を囲んで泣いている中、小鳥を母親のもとへ持って行き「焼いて食べよう」と言ったり、クラスメイトの喧嘩を止めるためにスコップで殴りつけたりした。そういった自分の行動が両親に負担となっていることに気づいてからは、必要なこと以外は喋らず、みんなのまねをするか誰かの指示に従うようにして自ら行動をすることをやめた。そんな彼女に変化を与えたのがコンビニとの出会いだった。コンビニ店員として働き始めたことで、古倉はようやく自分も世界の正常の一部になることができたと感じたのであった。そうして18年間、 古倉は毎日コンビニ食を食べ、夢の中でもレジ打ちをし、コンビニによって満たされた日々を過ごしていた。しかし、婚活目的でバイトを始めた男、白羽が現れたことで一変する。白羽や長年自分を気遣ってくれていた妹に自分の生き方を否定され、誰もが当たり前に考える「普通の人間」のあり方を突き付けられた古倉は、18年間続けたコンビニ店員を辞めてしまう。コンビニを手放したことで生きる意味を失った古倉は、偶然通りがかったコンビニでコンビニの「声」を聞き、自分はコンビニのために存在している、人間ではなくコンビニ店員という動物であるという答えにたどり着く。
 古倉は周囲の人々の話し方を真似し、周囲に合わせることでコミュニティの一員として溶け込むことができていた。しかし、就職し、結婚をすることが真っ当な人間のあり方だという固定観念が、古倉を正常の一部として受け入れなかった。「普通の人間」の定型というものが人々の中には根付いている。そこから外れたものは、普通ではないとみなされてしまう。この小説を読み終えてすぐに感じたのは、なんとなく怖いという感覚だった。世の正常が理解できずコンビニを己のすべてとして、最終的にはコンビニと生きていくことを選んだ古倉を、古倉を取り巻く人々と同じように私も正常ではないと感じたからだろう。私の中にも「普通の人間」の定型が染みついているのだ、と思った。
 「普通」とは何なのだろうか。就職し、結婚していれば普通の人間なのか。していなければ普通ではないのか。自分が普通だ、常識だと思っていることが必ずしも誰もが同じように当然のことだと考えているとは限らない。この小説は、そういった自分の「普通」の価値観について考える機会を読者に与えてくれるだろう。

審査員による講評

審査委員 経済学部准教授 井草 剛

国外に行くと、日本国内で普通に行われていることが、外国人の目にはとても珍しいものに映るということも少なくありません。日本国内では、真っ当な人間「普通の人間」が、国外では、普通ではないと指摘されることも多々あります。「普通の人間」っていったい何なのでしょうか?
 この書評は「普通の人間」の定型を改めて考えることの重要性や楽しさ、または怖さを1200字以内という狭いリングの中で理論的に、また感情的に余すことなく語ってくれています。私たちが、「ある種の画一化」を受け入れさせられていることがリアルに伝わってきます。

佳作:岡谷 智裕さん(人文学部英語英米文学科3年次生)

ディベートが苦手、だから日本人はすごい〔請求記号:081/As/467〕
著者:榎本博明 出版社:朝日新聞出版 出版年:2014

昨今の学校教育や企業研修では、ディベートが盛んに取り入れられるようになり、入社試験の面接などでも、臨機応変なコミュニケーション能力が問われるようになった。日本人は、よく討論が苦手とか、自己主張が弱いとか言われる。たしかに考えてみれば、国際的な会議の場でも、欧米人などは自己主張を積極的に行うのに対して、日本人は遠慮がちだと思うことがある。著者の考察によれば、日本人がこのようなパーソナリティを形成してきたのは、文化的自己観の影響であると言う。文化的自己観とは、生まれ育った文化によって自己の在り方が異なるとする見方である。
 本書は心理学者である著者が、欧米やヨーロッパと日本の気質の違いを比較し、日本人の心やコミュニケーションの在り方について解説する。また、海外の文化を安易に取り入れるあまり、日本の伝統的な美徳である礼儀正しさや建前が失われ、その結果として現れた遠慮のない主張が跋扈する現在の日本社会に警鐘を鳴らす。
 今日の日本社会では、何でも海外流を見習え、というような風潮が強く、その中で積極的な自己主張が慫慂されようになった。もちろん、自己主張を全面的に肯定する文化圏に住む人間はそれが必要だし、社会化によりそのような能力が自然と身に付くはずだ。しかし、遠慮や思いやり、建前を美徳とする日本人にとって、強制的にその能力を身に付けさせようとするのは無謀なのではないか。と著者は主張する。日本人は、相手を説得し打ち負かす技術ではなく、相手の意見を思いやり、尊重し合うことによる心の結びつきを大切にする。自分自身ではなく他者との関係性を重視するのだ。
 それは、私たちが普段使用する一人称にも示されている。欧米など英語圏の国々は、家庭、職場などで意思表示するときは全て”I”で統一するのに対して、日本人は一定不変の”I”が存在しない。つまり、他者との関係の中に自己を位置付け、それに応じて一人称を柔軟に使い分ける。例えば、友達と会話するときは”俺”、上司と話すときには”私”あるいは”自分”など、TPOに応じて、様々な一人称に変化する。自分にとっての「誰」ではなく、他人にとっての「誰」を重視する。子供がいる夫婦同士でお互いを「お母さん」「お父さん」と呼ぶのが良い例だ。ここにも、他者との関係性を重視する日本人の特徴を垣間見ることができる。著者は、急速な国際化の進展でこのような精神性が欠落した結果、日本社会にクレーマーなどの利己的な人間が増加したと分析する。
心理学者である著者の考察は鋭く、説得力のある主張が多い。しかしながら、こうした類の人間は、グローバル化よりもむしろ、我が国の個性を尊重しすぎた教育の帰結として現れたのではないか。このように、多少反論の余地はあるものの、何れにせよ、本書を読むことで、思いやり、遠慮、協調性など、近年希薄になりつつある日本人の美徳について再認識することができるはずだ。

審査員による講評

審査委員 薬学部教授 柴田 和彦

本の背景について、かなり具体的に導入されており、読者にとっては、作品の理解に大いに役立つ記述となっている。すなわち本書がディベートを題材にして、日本人の気質や深層心理的な部分に切り込んでいる点を詳細に述べ、著者の主張を明確に示していた。また、それに対しての評者の意見もしっかり交えており、読者の興味をそそる構成になっている。最後の部分が、もう一押しあるとさらに上位の受賞が可能であったように感じた。

佳作:河野 桃子さん(人文学部社会学科1年次生)

人間の分際〔請求記号:Lib/2015/に〕
著者:曽野綾子 出版社:幻冬舎 出版年:2015

人はよく「努力は必ず報われる」と言う。たとえば、足が速くなりたいと思ってたくさん練習をすれば、少しは速くなるだろうし、テストで良い点を取りたいと思って毎日何時間も勉強をすれば、高得点を取ることができるだろう。だが、世の中はそれほど甘くはない。いくら努力してもその成果が目に見えてあらわれず、報われないことも多くある。つまり、努力によって私たち人間ができることには限度があるということなのだ。そして、その限度を知ること、言い換えれば「人間の分際」を心得ることによって、私たちは幸せな暮らしを手に入れることができる。この本は「人間の分際」を知って幸福な暮らしをするための知恵を集めた一冊となっている。
 本書は、様々な出典から一部を抜粋したものを集めて構成されている。生きるうえでの大切なことや、一度きりの人生をおもしろくするためのヒントが述べられている。
 人生には、頑張ったら何か変わるものもあれば、頑張っても何も変わらないものもある。この本に「人生は努力半分、運半分」という言葉がある。つまり、いくら努力をしても自分の運次第で良い方向にも悪い方向にも向いてしまうということだ。しかし、だからといって努力をしなくてもよいというわけではない。努力することも大事ではあるが、努力もほどほどにして無理をしすぎず、あとは運に任せるということもときには必要なのではないだろうか。
 また、本書では不幸は悪いことではない、不幸があるから幸福が分かると述べられている。
つまり、不幸を経験しなければどういうものが幸福といえるのかが分からないのだ。幸福な人は必ず不幸を経験し、今に至っている。だから、今不幸が訪れていて悩んだり苦しんだりしている人にとって、この本はそんな気持ちを軽くし、励ましてくれる一冊となるのではないだろうか。
 この本を読み終えたとき「そんなに無理しなくてもいいんだ」と思えるような気がした。今、苦しくて悩んでいる人やより良い生き方をしていきたいと思っている人たちにぜひ読んでもらいたい一冊だ。

審査員による講評

審査委員 人文学部准教授 石川 良子

同一の著作を取り上げた2つの作品が並んで入選するのは、書評賞がスタートしてから初めてだという。作品の出来映えとは関係なく、まずは複数の学生がこの著作を同時に選んだこと自体が気になった。努力で達成できることには限度があることを知り、自分の「分際」をわきまえることが幸せに暮らすためには必要だと著者は解く。だが、これは数多の苦悩や葛藤を経て達した境地であって、それをそのまま若いうちから人生を生き抜くための智恵として取り入れることには引っかかりを覚える。しかし、その一方で「人には無限の可能性がある」と無邪気に信じてはいられないような時代を学生たちは生きている、もしくは、そういう時代の気分を感じているということなのかと思うと、何ともやるせない気持ちになってしまった。
 さて、それぞれの作品について手短にコメントしたい。六車さんの作品は文章が非常に整っており、新聞の書評欄に掲載されていてもおかしくなさそうだ。そういう意味ではよく書けているが、この「よく書けている感じ」が本作品の欠点でもある。評者に対して思わず「あなたは一体何者なのか。どこに立って物を見ているのか」と問いたくなる。次回は「等身大のあなた」が見えるような書評をお願いしたい。
 河野さんの作品は規定字数の下限である800字を少し超えたくらいの短さでありながら、コンパクトによくまとめられている。ポイントを的確に押さえられているからこそ字数を抑えられるのであって、これまでしっかりと読解力と文章力を鍛えてきたのだろう。とにかく長く書けばいいわけではないという良い見本である。また、背伸びをしている印象も受けず「そんなに無理しなくてもいいんだ」という読み終えたときの気持ちを表わした一言には好感を覚えた。

佳作:西岡 沙恵さん(人文学部社会学科1年次生)

舟を編む〔請求記号:913.6/Mi/〕
著者:三浦しをん 出版社:光文社 出版年:2011

言葉の宝庫、「辞書」。分からない言葉の意味、用法、またはその言葉の示す内容を収録している書物である。最近は電子辞書が普及しており、頻繁に紙辞書を使用する人は少ない。しかし、誰もが一度は実際に手にし、自分の知らない言葉を調べた経験があるはずだ。
 本書はある総合出版会社の辞書編集部の個性豊かなメンバーが、時間と情熱を注ぎ「大渡海」という辞書を作るという物語である。「なんだか堅そうだな。」と思うそこのあなた。筆者の三浦しをんの手にかかれば、そんなイメージを覆すこと間違いない。各人物の気持ちや雰囲気まで、ユーモアのある表現を交えながら、かつ辞書作りの難しさ、面白さを小説のなかで描写している。
 一つ例を挙げてみよう。「犬」とはどんな意味を指すだろう。すぐ思い浮かぶのは動物の犬である。それ以外は?「官憲の犬めがぁ!」と裏切りに遭ったヤクザが叫んだとすると、これは内通者を意味することになる。また「やつを犬死にさせるなぁ!」と別のヤクザが怒鳴っているとすると、これは無駄を意味することになる。つまり結果的に「犬」にはマイナス指向にあるということがお分かりだろうか。一つの言葉に対して人間が作り出した様々な意味を、人間の力で文字にしていく作業の結晶、これが「辞書」なのだ。
 本書の中で最大の見どころは、ズバリ新人の馬締光也の言動と恋愛描写だと私は思う。馬締の知識の量に感嘆する場面はいくつもあるが、ある特定の言葉に対して理解できない部分があるところがちらほら出てくる。例えば、「遊園地」という単語について。私は実際に行ったことがあるので友人に説明するには自分の体験をもとにして供述することができる。しかし、行ったことのないひとが別の人物に端的に個人の偏見を加えずに話すとなると一段と難しくなる。馬締の場合は「恋愛」だった。下宿先が同じである香具矢に恋した馬締は「恋愛」をはじめ「愛」など、人間関係の単語に自分の人生の一部を捧げながら成長していく。私自身恋愛に関して少し経験している身だが、だからといって簡潔に、だれもが納得するように語ることはおそらく一生できない。それは人によって違う恋愛観が存在しているからだ。「愛することは歓喜することもある」と定義している辞書がでてくるが、いつだって「恋」が、または「愛」が良い方向に考えるとは限らないと私は思う。辞書を「作る」側と、「使う」側では少し差が生じる。いくら注意を払っても、特に人間の心情に関連する言葉には偏見や誤解が生まれる。仕方のないことだが、改めて辞書作りの難しさと面白さを考えさせられる一冊となった。
 この小説を読んでから言葉に対する思いがより強くなった気がする。同じ言葉に関して全く同じ説明をする辞書はない。各辞書にはそれぞれの制作者、編集者の想いが込められていることを想像することで少し違った世界が見えるのではないだろうか。

審査員による講評

審査委員 薬学部教授 柴田 和彦

本の内容を的確に捉えて、背景、概要なども良くまとめられており、読みやすい構成となっている点が優れている。そのなかで、評者が特に感銘を受けた部分をより具体的に描写しており、読者の興味を促す記述は優れていた。時に書評は、読書感想文的な文章になりがちであるが、この作品はなんとかこの点を回避しょうとする意識が伺えた。最後に、この本の主題である言葉の重みについては読者に充分伝わる内容となっていた。

佳作:六車 日菜子さん(経済学部経済学科2年次生)

人間の分際〔請求記号:Lib/2015/に〕
著者:曽野綾子 出版社:幻冬舎 出版年:2015

成功者が口をそろえて言う綺麗事ほど耳障りで、凡人の神経を逆なでするものはないと私は常々考える。「努力すれば必ず報いられる」、「為せば成る」、そんな言葉があちこちから聞こえるたび、随分無責任なものだと顔をしかめずにはいられない。世の中には、努力だけではどうにもならないことがごまんとあるのだ。
 著者である曽野氏もまた、まえがきでこの綺麗事に対する不信感をあらわにしている。
 曽野氏は先天性の強度な近視であったため、昔から球技全般が不得意だった。その後彼女は自分に備わった力に限界があることを知ると、自分に出来る作家という新たな道を歩む決断をしている。この「為せば成る」とは正反対の選択を経て、曽野氏は自分の身の丈に合った生き方を好むようになった。財産も才能も自分の限界を知り、それ以上を望まずそれ以下で妥協しない。自分の身の丈、人間としての分際をわきまえて生きることが本当の幸せを手にする一歩であると、曽野氏は言う。
 ところで、本書のように著者一個人の人生観について書かれた本というのは若者にとって興味の対象ではないかもしれない。しかし特に第三章は、人間関係に悩む現代の若者にこそ読んでほしい部分だ。
 私たちが生きていく中で、人間関係ほど厄介なものは他にないだろう。そしてそれに悩んでいる人々の多くは、「自分の気持ちを相手に理解してもらわなければならない」、「他人に嫌われてはいけない」、「他人を傷つけてはいけない」、そんな綺麗事が自分の首を絞めていることに気がついていない。いま、綺麗事に雁字搦めにされ身動きが出来ずにいる人は、曽野氏の言葉を沼地に現れた飛石のごとく思うことだろう。伝って歩けば、踏みしめる感触も見える景色もこれまでとは全く違ってくるのだから。これは、曽野氏が人生という沼地の中で見つけた飛石たちを集めた一冊である。
 また本書の形態は、曽野氏のさまざまな著作の中から厳選した文を切り貼りし細かく章立てした、いわゆる名文集である。この一冊で曽野氏の作品の多くがつまみ読みできるため、時間に追われるサラリーマンにとっても、家事に追われる主婦にとっても実においしい。
 そして、一貫して綺麗事を排除した曽野氏の人間臭い言葉の数々には飾り気が一切ない。しかしそれゆえに、異なる人間であるはずの自分と奇妙に重なり合う部分がある。読者はまるで〈人間の説明書〉を読んでいると錯覚させられるほどに。これには綺麗事を愛する成功者たちも、唸らざるを得まい。

審査員による全体講評

審査委員長 薬学部教授 柴田 和彦

今年度の書評賞への応募件数は、昨年(26編)とほぼ同じ24編であり、ここ数年は30編前後で推移しており、更なる増加を期待する。入選作品については、最優秀賞の該当者はなく、優秀賞2編、佳作4編の合計6編となった。今回は、残念ながら3人の審査委員全員が一致して高く評価された作品はなかった。また、過去にはなかった事例として同じ書籍に対する書評が2編あったことである。加えて2編とも佳作として選ばれたことも付け加えておく。
 今回の作品の印象として、書評についての認識が一部の作品で希薄であったように感じられた。ここであらためて、書評とはという話しは適当ではないかもしれないが、これから書評に挑戦しようとする学生諸君には認識してほしいと思う。一般的な書評の構成要素は、作品の背景、作品の概要、作品の魅力について書かれていることだと思う。そのなかに、書評者のその本を読んで感銘を受けたことや考えさせられたことなどが含まれることも重要である。さらに重要な点は、書評者による冷静な批評が述べられていることである。批判の目をもって本を読むという姿勢は、知的活動の基本である。この点が、読書感想文と書評の大きな違いである。この作品概要紹介と書評者による批評がいかにバランスよく述べられているかが評価のポイントとなることを認識してもらいたい。今回の作品では、その批評の部分が不足しているものが散見された。そのなかでその点を含め、よく纏められた作品が今回の優秀賞2編であった。
 一方で、ストーリーテラーのようなまとまった文章ではあるが、起伏が少ないまま文章が終了し、もう一押しがあるとより良い評価となった作品も見られた。また、作品概要紹介の部分が長すぎる作品もいくつか見られた。この場合、作品の概要を説明しすぎることにより、読者の楽しみを奪うことにもなるので注意が必要である。
 また、文章の形式的な側面として、ある作品では、口語体の表現が多く、ときに内容が薄く見られる可能性もあるので、そのバランスも考えてもらいたい。そのほか、段落をかえすぎて、かえって分かりにくくなっているものもあり、書評を書く場合には基本的な文章表現等についてもあらためて気をつけてほしい。
 図書館では、2008年度(第8回書評賞)から「書評の書き方教室」を企画している。今回応募された方も含め、あらたに挑戦する学生諸君もぜひ、当該教室をのぞいてみてもらいたい。そして、本学の恵まれた読書環境を存分に活用していただき、より優れた書評を目指してほしい。
 最後に先に述べたように、批判する視点をもって本を読み、そして、論理的に文章を展開することは書評を書くときにきわめて重要である。主観や感情のみで文章を書くような感想文とは一線を画することを強く意識して書評を書いてもらいたい。併せて、文章を書くときの基本である起承転結も当然意識して臨んでほしい。
 今後も松山大学書評賞が、学生の読書活動の促進に寄与することを強く期待している。

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