地域を支える中核企業として、常に挑戦!
今回お話を伺った方
株式会社新来島どっく 代表取締役社長
森 克司(もり かつし)さん
1982年3月 経済学部経済学科卒

やりたかった野球に挑戦し かけがえのない仲間を得る
今治市出身の森さんは、父親の「大学には行かせてやりたい」という思いを受けて、松山商科大学(当時)に進学。1年目は片道1時間20分以上かけて汽車で通学、2年目からは奨学金を得て大学の近くに住まいを移し、学生生活を謳歌した。「ずっと野球をやりたかったんですが、親の反対もあって我慢していて、大学入学と同時に硬式野球部に入部しました。全日本大学野球選手権大会に出場するために初めて上京し、当時の野球界のスーパースター選手たちを間近に見て、ワクワクしたことは忘れられません。野球部の仲間たちとは今も毎年集まり、交流が続いています」と話す。ゼミの仲間たちとも同じく今も交流があり、大学は生涯にわたる人間関係を築く場となった。
経営者の視点で描く企業と地域の未来像
卒業後は地元の来島どっく(後の新来島どっく)に就職。最初に配属された教育課で、人材育成事業や企業再建などに取り組むことに。その後、原価課、生産管理課、勤労課、総務部と、管理部門をひと通り経験し、2023年4月に専務に昇進。同じタイミングで設計・営業畑から社長に就任した村上孝信さんと会社を盛り立てることになった。しかし、その矢先、村上さんが急逝し、森さんがその後を継ぐこととなる。「当時は経営が厳しい時代で、企業としてどこを目指すべきかというのもありました。それでも、村上さんも継承しようとしていた「当社が長年培ってきた技術『自動車運搬船』を造り続けてこそ」との思いから、森さんも遺志を継ぎつつ、「20年、30年先のあるべき姿を描き、管理部門で培った視点をもってブラッシュアップしていきたいと考えています」と話す。地元の雇用の維持、地域全体で支え合える体制づくり、造船所間の協業と、森さんの描いている夢は大きい。新来島どっくの新たな船出は、始まったばかりだ。
後輩へのアドバイス
やりたいことを見つけ、それを貫いてほしい。やりたいことが見つからなければ、誰かに相談して、話のなかで何か感じることがあれば挑戦する勇気を。話を聞いて分かったような気になるのではなく、自ら行動する経験を積み重ねてほしいと思います。

この記事は松山大学学園報「CREATION」NO.226でご覧いただけます。





