【「日本学士院賞」 受賞記念】岩橋 勝 名誉教授
経済学部経済学科
三貨の動向から経済発展を探る
私の研究目的は、近世日本の貨幣動向から経済がどのように発展していったかを探ることにあります。徳川家康の天下統一後、幕府は金・銀・銭からなる「三貨制度」を確立しました。そこから経済発展に貨幣がどのように寄与していったのか、旧幕府貨幣改鋳ごとの金銀在高記録、全国各地の商家・農家の経営帳簿や金融証文といった、貨幣流通や米価変動に関する既存データを分析し、歴史像を検証していくというものです。その際、〝小額貨幣使用比率増=貨幣経済化〞という仮説を立てて、実態解明を進めてきました。
しかし、利用可能なデータは極めて乏しく、関連する断片的な残存資料を突き合わせながらの研究であり、自ら手掛かりとなる資料を探して全国を回ることもありました。その結果、貨幣改鋳は幕府の財政的要因を重視して行われていたとされていたのが、経済発展に伴う貨幣需要に即応した貨幣供給の側面がより重視されるべきであること、人口動向分析からも近世後期は都市より地方で経済が発展したことなどが明らかになってきました。さらに近世日本の貨幣経済化が東アジアのなかでどこまで進んだか、中国や李氏朝鮮との比較分析も行い、18世紀末までには両国に追いつき、相応の発展をしていたことが確認できました。
小額貨幣の意義を改めて強調する
長年にわたる研究によって、17世紀末〜19世紀後半で三貨全体の在高が8倍前後に増加したこと、金銀貨の多くが小額面に改鋳されたこと、辺境地域では高額取引でも銭貨が多く使用される場合があったことなどが新たな知見として得られました。また〝銭は端数処理に使われていたもので、金銀貨の補助的な貨幣に過ぎない〞とされてきたのを、〝人口の8割以上を占める農民・庶民の経済的地位向上に不可欠な貨幣だった〞という解釈を得られました。
歴史学は未来学であり、その意義は「過去のあゆみから教訓を得て現代に活かす」ことにあります。私の研究は、従来の貨幣史における論争史にはあまり深入りせず、貨幣がどのように使われてきたかという事実の発見の報告にとどまります。しかし、貨幣が経済発展にどう貢献したかということで、常に問われているのは〝貨幣に関する信用・信頼〞です。貨幣動向について事実関係を明らかにすることは、例えば暗号通貨への対処が不可避な現代の金融政策にも直接つながってくることなのです。
権威ある学術賞、「日本学士院賞」を受賞
退職後に研究の集大成でもある『近世貨幣と経済発展』を上梓。その翌年には本書が「徳川賞」という日本近世を対象とする研究の年間最優秀作に選定され、さらに2年半後の今年、「日本学士院賞」という学術研究では最高の名誉ある賞をいただくことができました。喜びと同時に、他にも立派な研究成果を発表されている同学者と多く交流があるだけに「どうして自分が?」という複雑な気持ちです。その一方で、地方私立大学勤務では無縁の賞と思っていました。しかし、あらためて「授賞審査要旨」に目を通してみると、従来の貨幣史研究アプローチを脱するあらたな枠組みと、学界で求められてきた「貨幣の経済史」構
築により共有可能なデータが提示できたことが評価されており、自身でも納得できました。
松山大学は地方私立大学ですが、学会・研究会へ参加できる機会も多く、他大学と比べて研究環境が決して劣っているとは思いません。私は本学赴任以来、学生部活動において柔道や剣道そして女子駅伝部等が全国一となった実績も目撃でき、頂点を目指して地道に努力する大切さを学ばせてもらいました。100周年を迎えた松山大学がこれまでの周年ごとに打ち出された一時的な決意表明のみで終わってしまうことのないよう、高みを目指し着実に努力を継続して発展してゆかれるよう願っています。
松山大学名誉教授 経済学博士
岩橋 勝 IWAHASHI Masaru
略歴
1964年 滋賀大学経済学部卒業
1967年 大阪大学大学院経済学研究科博士課程中退
1968年 大阪大学経済学部 助手
1969年 松山商科大学経済学部 講師(78年教授、89年校名変更にて松山大学)
1983年 大阪大学より経済学博士の学位授与
1988年 米国スタンフォード大学 客員研究員(1年間)
2000年 松山大学大学院経済学研究科 研究科長(2004年まで)
2012年 松山大学を退職、同名誉教授
2017年 関西大学経済政治研究所 非常勤研究員(現在に至る)
この記事は松山大学学園報「CREATION」NO.218でご覧いただけます。
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