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2017年08月28日

歴史はどのように語られるのか、歴史とは一体何なのかを文学を通して探究する

文学研究者として歴史に関わる

もともと歴史が好きで、小学生の頃はNHKの『歴史への招待』という番組をよく観ていました。当時の愛読書は『大草原の小さな家』シリーズの翻訳本で、開拓時代の衣食住や、アメリカ合衆国という国が成立していく過程を主人公ローラの眼を通して描かれている様子が興味深く、「南北戦争終結の翌年にローラは生まれて、ローラが大きくなるのと一緒にアメリカも大きくなった」などと考えては、わくわくしていたものでした。その気持ちが、歴史はどう記述されるかについて、文学作品を通して研究している今につながっているような気がします。
 と言っても、研究者として文学と向き合うようになってしばらくは、文学と歴史をあまり関連づけていませんでした。それでも、博士論文を書こうと思ったときに選んだテーマが「ディケンズと歴史」だったのです。直接的なきっかけの一つに、A・S・バイアットの小説『抱擁』を読んだことがあります。『抱擁』には、2人の文学研究者が19世紀の桂冠詩人を巡る謎の解明を試みる様子が描かれていますが、それと同時に、資料をもとに解明された過去、すなわち歴史など結局のところ作りもの(フィクション)に過ぎないのではないかという疑問が提示されています。この疑問は前々から問われていたものですが、『抱擁』を読んだことで、歴史について、文学研究者の立場から吟味してみたいと思うようになったのです。
 考えてみれば、以前から文学研究の対象にしていたイギリスの19世紀は「歴史の時代」でした。18世紀末にフランス革命が起こり、ヨーロッパが未曾有の混乱に陥るなかで、人々は歴史の変化は本当に起きるのだと実感し、先祖が歩んできた過去に興味を持つようになりました。ウォルター・スコットの歴史小説がイギリス内外で大流行し、後続の作家たちも小説を通して歴史と向き合いました。その流れのなかに、ディケンズもいた。そこから私の博士論文執筆は始まったのです。

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