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図書館

第22回(2022年度)松山大学図書館書評賞

受賞者<2022年12月2日発表>

2022年度応募要項

最優秀書評賞:該当者なし

該当者なし

優秀書評賞:加藤 優さん(人文学部社会学科1年次生)
「兎の眼」 灰谷 健次郎 著
出版社:理論社 出版年:1996 請求記号:913.6||Ha
 

教員が抱える苦悩を想像したことはあるだろうか。数十人もの生徒が在籍するクラスを任され、勉強を教えるだけでなく、日々の生活の手助けも行うのである。自分の受け持つ生徒全員が、何の問題も起こさずに、学校生活を送ってくれればいいのだが、そう簡単にはいかない。やはり1クラスに数十人もの生徒がいると、少なくとも1人は「問題児」が存在する。問題児がいるだけで、頻繁に事件が起こり、事件が起こる度に保護者からは「どうなっているんだ」と責められる。周りの教員に助けを求めようとも、その教員達も自分のことで手一杯な場合が多いため、必ず味方になってくれるとは限らない。
 本書は、子どもたちに向き合おうと日々奮闘する新米教師の小谷芙美と、塵芥処理所に住む、小谷学級の問題児の臼井鉄三の物語である。鉄三は、問題児でありながら、周りの子に比べて少し発達が遅れており、ほとんど口のきけない子どもであった。よって、問題を起こす際は、クラスメイトを怪我させたり、生き物を殺したりと攻撃的なものばかりだった。しかし、その行動の原因は、鉄三の飼っていたハエが盗まれたことによるものであると分かり、知られざる鉄三の才能が明かされることになる。
 また、本書では公害問題も大きく関わる内容となっている。本書が発表されたのが1970年代ということもあり、塵芥処理所の近くに住む処理所の作業員や、その家族の思いが色濃く描かれている。悪臭がたちこめ、時に健康被害をもたらすような劣悪な環境に苦しむ住人たち。この事態を一刻も早く解決すべく、着々と新たな処理所への移転案が進むなか、新たな問題が発覚する。その問題というのは、鉄三たちが転校先の小学校に通うために、ダンプカーが延々と走る道を歩かなければならず、買い物に出かけようにも、歩いて30分ほどかかるという、到底住みやすいとは言えないものであった。住人たちは、「そんな場所に行ってたまるものか」と主張し、小谷を含む一部の教員とともに、ストライキを始めるのだった。
 本書を読み、時代によって、発達障害を持つ子どもに対する対応の仕方が大きく異なるということを改めて実感させられた。今でこそ、発達障害への理解は深まりつつあるが、この時代においては「ただの変わった子」だと白い目で見る人が大多数だった。恐らく、小谷のように寄り添おうと努力する人は、少数であったのではないだろうか。
 また、小谷は、子どもたちの支援だけでなく、処理所に住む住人たちとも協力して、移転問題のストライキに参加するといった教師らしからぬ大胆な行動をとっている。さすがに、踏み込みすぎではないかとも思ったが、読み終わるころには、小谷の勇気ある行動に感動していた。
 本書は、こういった時代があったということを知る上でも、教員を目指している人だけでなく、教育に少しでも関心がある人にも、手に取って読んでほしい1冊である。

 

審査委員による講評

人文学部准教授 吉武 理大

書評の書き出しは、「教員が抱える苦悩を想像したことはあるだろうか」という問いかけから始まり、問題提起が続くという読み手の興味を引く文章構成となっています。また、その後の小説の概要も端的にまとめられています。
 書評の後半では、小説のなかで取りあげられる公害問題や発達障害への見方といった点に着目し、あらすじを紹介するとともに論点を提示することができています。本書が書かれた時代背景や公害問題について、さらに考察を深めてみるとよいかもしれません。

優秀書評賞:十万 夢月さん(経済学部経済学科2年次生)
「悪魔が教える願いが叶う毒と薬」 薬理凶室 著
出版社:三才ブックス 出版年:2016 請求記号:499.1||Ya
 

願いが叶う薬、例えば飲むと頭が良くなるクスリ、飲むと美人になれるクスリ、気になる人を恋に落とせる惚れグスリ。私たちがあればいいのにと思うクスリはたくさんある。そんなクスリが存在していれば、もっと楽な生活を送ることができるだろう。諦めていた夢も叶えていたかもしれない。では、本当にそんなクスリは存在しないのだろうか。科学・医療の技術が発展した現代では作れないのだろうか。本書は、そのようなクスリについての疑問や希望について科学・薬学のプロ集団、薬理凶室が可能な限りの可能性を検討したものをまとめたものとなっている。
 本書の面白い点としては、タイトルを一見すると、理想の裏ルートを知ることができる便利な本のように思えるが、内容はそのように怪しげなものではないところにある。私たち薬のことをよく知らない人間は、飲むだけで頭が良くなるクスリ、などというキャッチコピーを見てしまうと、そんな薬があるのかもしれないと根拠のない期待を抱いてしまいがちだ。本書をタイトルだけで手に取ってしまう人はまさしくその一例だと言えるだろう。理想のクスリがあるのか、その結論として本書ではある程度の願いはかなえられるが、手間や時間をクスリで短縮した分のリスクは伴う、というものが書かれている。期待を持って、本書を読んだ読者は肩を落とすかもしれない。しかし、本書で筆者が読者に一番伝えたいことはそこにある。薬は楽をするために使おうとするとその分リスクが伴う。リスクを伴わない理想のクスリなどは効果がないも同じことだ。単純で当たり前のように思えるこの仕組みを理想のクスリを例に詳しく解説されることで、私たちの中にある根拠のない期待が根拠のある否定になる。知らないから期待してしまう、知らないから甘い言葉に夢を見て痛い目を見てしまう、そんな人に真実を知らせることが本書で筆者のやりたかったことなのではないだろうか。
 この書評をここまで読んで頂いた方は、文章中のクスリという言葉に違和感を持たれた方がいるかもしれない。クスリと書いたり、薬と書いたり、これは変換ミスなのかと聞かれるとそうではない。この文の中で、薬は病院や薬局で処方されるような正しい薬、クスリは毒と言っても過言ではないような危険な薬、効果があるのかわからない怪しい薬として使い分けた。本書でも、筆者はこのような言葉の使い分けをしている。本書のタイトルは「悪魔が教える願いが叶う毒と薬」。本書ではクスリの話しかしていない。なぜ願いが叶う薬ではなく、願いが叶う毒と薬というタイトルにしたのか。その理由としては、クスリは薬というより毒という方が近いかもしれないからである。薬は、量や使用法が違うだけで毒にもなる。それを筆者は本書で伝えたかったのではないだろうか。本書は、私たちの薬に対する視点を少し現実的で正しい方向にずらしてくれる薬物リテラシー本なのである。

 

審査委員による講評

薬学部准教授 奈良 敏文

ともすれば怪しく写るタイトルの本書ですが、筆者「薬理凶室」の素性に触れることで、科学的な信用と安心感を生んでいます。その上で、薬という化合物への正しい知識と距離感を、読者の視点から分かりやすく描けています。決して無機質な論調ではなく、「理想のクスリ」や「根拠のない期待」などの怪しげな単語をちりばめて、読者として感じた裏テーマをクローズアップしているのも、作品の魅力となっています。最後の一文で本書の概要はさらに明確になり、読みたい気持ちに拍車をかけることでしょう。

佳作:今村 麻衣さん(人文学部社会学科4年次生)
「あの夏が飽和する。」 カンザキ イオリ 著
出版社:河出書房新社 出版年:2020 請求記号:913.6||Ka
 

始業式の日の学校で、少年は父をめがけてナイフを突き刺した。寂しい、苦しい、甘えたい。本当の気持ちは、言葉にしても伝わるとは限らないが、相手を殺すためのナイフでは、気持ちはもっと伝わらない。ナイフでは、自分も相手も救えない。本書は、生きづらさを抱える主人公たちが自分の人生を生きるために試行錯誤する、ある夏の物語。
 高校生の瑠花は、父と二人暮らし。父に喜んでもらうために家事をこなし、負担をかけないように頑張っている。しかし、帰宅しても父は仕事でいない。寂しい、抱きしめてほしい。この心の穴を、ネットで出会う人に埋めてもらおうと考えた。出会い系サイトで多くの人と会っているうちに、27歳の男性、千尋と巡り合う。
 千尋の過去の恋人であった流花は、中学生の時に亡くなった。千尋は流花の死を受け入れられないまま、なんとなく大人になった。偶然にも流花と同じ名前の瑠花に特別な感情を抱き、力になりたいと感じるようになる。流花との過去に囚われ、自分は幸せになっていいのか迷う千尋を、瑠花が変えた。
 瑠花のバイト先の同級生、武命(たける)は、「俺は独りだ」と思う。家では虐待を受け、相談に乗ってくれていた友達も失った。父に言われた言葉は「失敗作」。武命は日々に絶望し、父と母を殺し、そして自分も死のうと決意するのだった。
 始業式の日、武命は母をナイフで殺害する。そして、親友に最後の別れを告げるため学校に向かう。武命の行動を止めるため、瑠花と千尋は学校に向かい、計画を聞いた武命の父も学校に現れる。「失敗作が!」と叫ぶ父に武命はナイフを突き刺した。しかしそのナイフが刺さったのは、武命の父をかばった千尋だった。ナイフが刺さったまま、千尋は武命と瑠花を抱きしめる。「君たちは何も悪くない」。
 瑠花は父を、父は瑠花のことを想って行動していたが、お互いの気持ちは伝わっていなかった。武命も、周りに相談することなく、独りで苦しんでいた。本当は親友にも見放されていなかったのに、勝手に裏切られたと感じていた。千尋は言う。「自分一人だけだと思わないで。苦しくて、寂しくて、どうしようもなくなったら、建前とか遠慮とか、何もかも全部投げ出して、誰かに助けを求めるんだ」。
 彼らは、自分の本当の気持ちを伝えずに、「察して」くれることを願っていた。その結果、気持ちは思うように伝わらず、殺人という悲劇が起きた。
 誰かを頼ることは、助けを求めることは、決して弱くない。相手に理解してもらう努力もせず、「察して」という言葉で片づけるよりずっと強い。本書は、読み進めるにつれて登場人物の関係が繋がっていく。彼らが紡ぐ激動の夏の物語を読み終わる頃には、「生きていていい、頼っていい」と思えるはずだ。生きることに苦しさを抱えるすべての人に届いて欲しい一冊。

 

審査委員による講評

薬学部准教授 奈良 敏文

ある程度は書かなければ複雑な人間関係と気持ちの交叉は伝わらないだろう。そんな扱いづらい本書を、軽やかな導入と予告調の結語で爽やかにまとめたのが好印象です。憎しみが最高潮の一幕で、一瞬に起きた間違いと発せられた言葉。ストップモーションの臨場感で読み手を引き付け、作者の主張の一端も自然に目に留まります。読者としての若々しい感受性を感じさせながらも多くは書かず、読んで感じてのスタンスが本書の書評としてスマートに感じました。
 あらすじの部分はもっと簡潔に表せるとバランスが良いでしょう。

佳作:桑山 愛理さん(人文学部社会学科1年次生)
「スマホが起こす『自分病』って何?」 和田 秀樹 著
出版社:新講社 出版年:2018 請求記号:493.743||Wa
 

「スマホ・ゾンビ」アメリカでは歩きスマホをしている人をこう呼ぶそうだ。その由来は下を向いてふらふら歩くさまがゾンビに似ていることだが、本書を読むとまた別の意味でも的を射た言葉だと気づくだろう。
 現代においてスマホは欠かせない道具となっている。しかしスマホは非常に便利な反面、付き合い方を誤るとネット依存やゲーム依存を引き起こしやすい危険な道具でもある。本書では精神科医の著者が「自分病」という独自の言葉を使い、私たちに健康的なスマホとの付き合い方を教えてくれている。
 著者の言う「自分病」とは何だろうか。それはSNSでつながる世界が自分の世界であって、リアルな自分は自分ではないという現実のことである。つまり、生(リアル)な現実より、仮想現実でつながる関係に気を奪われているということである。あなたも親しい人との食事中、相手がスマホばかり見ていてまるでそこに生きていないように思えたことはないだろうか。今ではよく見る光景となっているが、目の前の相手を大事にできている行動だとは私には思えない。
 どうして「自分病」になってしまうのだろうか。それはもともと日本人には表面的な仲の良さを大事にしたり、仲間外れを恐れたりする気持ちがあり、「みんなに合わせなくちゃ」という一種の根強い強迫感が、スマホからつながるネットメディアによってさらに増幅されているからだと著者は述べる。現代人がSNSの大多数の「みんな」からの評価を気にするのは、孤立することを恐れる気持ちからだろう。
 しかしここで問題なのは、スマホでつながる人間関係がほんとうに孤立感を癒してくれるのかということだと著者は述べる。スマホでみんなとつながり続けることでしか自分を保てないとすれば、それはただの「(不健全な)依存」でしかなく、むしろ孤立感をふくらませるだけではないだろうか。この著者の問いかけに私ははっとさせられた。SNSでつながる大多数の「みんな」はいくら私に「いいね」をしてくれたり、賞賛の言葉を送ってくれたりしても私の内面を本当に見ようとはしてくれないだろう。自分が「みんな」に合わせることに必死だからだ。私の内面を見てくれる目の前の人とどちらを大事にするかは言うまでもない。もし私が「自分病」にかかった「スマホ・ゾンビ」でもない限りは。
 とはいえ本書はスマホ依存の恐ろしさを伝えるだけの本ではない。自分を見失わず、スマホを賢く使いこなすにはどうしたらいいのかを著者が精神医学の視点から理論的に教えてくれる。
 「自分病」にかかる前にぜひ読んでほしい一冊だ。

 

審査委員による講評

法学部准教授 甲斐 朋香

話題の著者による、タイムリーなテーマの本を選んでいます。文章も過不足なく手堅くまとまっています。スマホが手離せない同世代のお友だちにも是非、ご自分が本から得た知見を伝えてあげてください。

佳作:高塚 智也さん(人文学部社会学科1年次生)
「回復力 : 失敗からの復活」 畑村 洋太郎 著
出版社:講談社 出版年:2009 請求記号:081||K5||1979
 

「失敗しない人なんていない」。当たり前のことではあるが、失敗を避けるあまり結局のところ自分の思うように行動できなかったことは誰しもある経験だろう。一方で、行動できた場合でも失敗をしてしまえばその代償は大きく、立ち直ることが困難な場合が多い。  本書はそんな失敗について、失敗学を提唱する著者が失敗との付き合い方や復活するための方法などをテーマとして論じている。著者が提唱する失敗学とは失敗をもっと積極的に扱うという理念のもとで成り立っている。この考え方は失敗に対して著者が論じる上で最も重要なものとなっている。それだけでなく、私たち個人や社会における失敗に対しての向き合い方にも通じるものがある。
 では、失敗とうまく付き合っていくにはどうすればいいのだろうか。著者は失敗後の対処を含め、復活するための回復力について論じている。その一つとして、自らの失敗を認めたうえで、回復を待つための時間を確保することである。これを聞くと一見失敗を隠しているようである。しかし、自らの失敗は認めた上でのことであり、すべてを隠しているわけでない。それを考慮し、エネルギーの回復を促すことで自らを壊すことなく失敗を対処する方向へ移行することができるのである。エネルギーが回復すれば対処方法を考える必要がある。対処する段階では一転して潔さも必要となる。失敗を周りに伝え原因の除去に努めることも必要だ。
 この段階で失敗を最小限にとどめるには失敗への準備がカギを握る。事前に失敗を想定しその原因となり得ることを検討するべきである。起こってからの対処が迅速になり、回復力も上がると考えられる。また、普段の生活から当たり前のことを徹底することも重要である。失敗してからの周りの対応が変わってくるであろう。
 本書を読むことにより、失敗へのイメージを覆すことができるであろう。著者が論じる失敗に対する回復力はその点で斬新である。さらに、失敗を次に生かすという観点から考えれば、それは決して無駄なものではないことがいえるだろう。
 もちろん失敗せずにうまくいくのに越したことはない。しかし、誰一人として失敗しないということはないであろう。したがって、失敗との向き合い方、生かし方を追求するほかないのである。個人としてそのことを意識するのはもちろん、それ以上に社会や組織としても失敗に対して寛容になる必要があるように考えられる。個人の意識がやがては社会に広がり、雰囲気が変わることとなるであろう。そういったことが個人の回復力に費やす労力を減らすことにつながるのではないだろうか。失敗を次につながる意味のあるものにしていくことは我々の使命なのかもしれない。

 

審査委員による講評

人文学部准教授 吉武 理大

書評の書き出しは、本書の重要な視点である「失敗しない人なんていない」という言葉から始まり、そのあとの段落で本書の概要を説明するという文章構成となっています。
 本の内容の説明についても、失敗への対処と回復力、失敗への準備の重要性などをわかりやすく説明することができています。また、最後のまとめの段落において、個人としての失敗との向き合い方だけでなく、社会や組織としての寛容さが必要であるという重要な指摘もなされています。本書を読むことで「失敗へのイメージを覆すことができる」ということなので、失敗へのイメージをどのように覆す本なのか、また、「回復力の斬新さ」について、さらに考察を深めてみてもよいかもしれません。

佳作:松本 歩果さん(人文学部社会学科2年次生)
「黒牢城」 米澤 穂信 著
出版社:KADOKAWA 出版年:2021 請求記号:913.6||Yo
 

他ジャンルの小説と歴史小説の違いは、結末がある程度わかっていることだ。黒牢城は天正六年、織田信長に謀反を起こした荒木村重に焦点を当て書かれている。村重が負けることは歴史の知識がなくともなんとなくわかるだろう。だからこそ、歴史小説では登場人物の心情や生きざまに重きを置いて読むことができる。
 『黒牢城』は序章、第一章、第二章、第三章、第四章、終章で構成されている。著者の米澤穂信はミステリー作家であり、黒牢城は歴史小説でありながらミステリー小説でもある。第一章から第四章まで、村重に難事件が降りかかり、それを解決していくストーリーだ。 上記のように、本書では村重に難事件が降りかかる。村重は謎を解こうとするが困難で、解決を織田側として牢屋に捉えていた黒田官兵衛に依頼する。本書の面白い点は、ミステリーを読み解く中で、村重の生きざま、思考にふれることができることである。それは決して美しいものではない。
 なぜ、村重は難事件を解決しようとするのか。それは、難事件を残すと家臣の心が離れる恐れがあるためである。村重はどんなに強大な城でも、家臣が疑心すればもろいと述べている。不安要素を残さないために、難事件を解決する必要がある。
 村重の行動理念も読み解くことができる。村重は、織田のことを「人を殺しすぎた」と述べている。織田側の使者である黒田官兵衛を殺さなかったことや、裏切った家臣の人質も生かしておくよう命令をした。村重は、織田の反対をいこうとする、「人を殺さない」ことを第一としているのだ。それだけ聞くと美しいと感じるかもしれない。しかし、この時代敵方の使者を殺さなければ、使者が寝返ったと勘ぐられ、使者の人質がいれば殺されてしまう。つまり、村重が官兵衛を殺さなかったことにより、織田方に人質で預けられていた官兵衛の子は死んでしまうのだ。官兵衛は自身を殺せと何度も言う。村重はその理由を武士だからで片づけたが、それは本当だろうか。
 村重は家臣をまとめるために、難事件を解決しようとする。しかし、村重は自身の本心を家臣には話さない。城主が家臣を信頼していない城は成り立つのか。
 本書は歴史小説とミステリーが合わさり、よくある歴史小説よりも読みやすい文章になっている。ミステリーを読み解いたり、村重の絶妙に狂った思考を読み解いたりするのも面白い。歴史小説を読んだことがない人にもぜひ挑戦してほしい。

 

審査委員による講評

法学部准教授 甲斐 朋香

理知的で歯切れのよい文章で、この本の味わい方を伝えています。評者は読書量が多い方なのでは?と推測しました。本の中の登場人物を通じて、ご自身の生き方についてもヒントをつかんでいる様子が窺えます。

佳作:光宗 花佳さん(人文学部社会学科1年次生)
「人口減少日本であなたに起きること(未来の年表2)」 河合 雅司 著
出版社:講談社 出版年:2018 請求記号:081||K 5||2475
 

皆さんは、少子高齢化の問題に対してどれくらい真剣に考えたことがあるだろうか?私はこの本を読むまで、少子高齢化について筆者が訴えるほど危機感を持って考えたことは無かった。しかし、私はこの本を読み終わり、日本で着々と進んでいく少子高齢化が、私たち一人一人が本当に危機意識を持ち、今すぐ行動を起こさなければならない重大な問題であることを改めて感じた。筆者は、少子高齢化は北朝鮮の核・ミサイルと並ぶ国家の危機であり、これまで取ってきた対策のままではいつかすべてが行き詰まると述べている。政府を含め私たちは、少子高齢化に対して楽観視しすぎているのではないだろうか?
 この本は2部構成になっており、第1部では少子高齢化や人口減少によって私たちの周りに起きると予測されることを、第2部では個人や企業などで始められる対策を、項目ごとに分けて書いてある。また、巻頭には私たちの周りで起きるであろうことをカタログ化したものが付いており、「天空の老人ホームが林立」というトピックや、「80代ガールが流行を牽引する」というトピックなど、読者の興味を引くようなものが書かれてある。
 特にこの中で、私が一番興味を持ったのは、「亡くなる人が増えると、スズメバチに襲われる」というトピックだ。どういうことかというと、現在日本では、持ち主が不明な土地が既に現存する土地の約2割も存在し、2040年にはほぼ北海道と同程度の面積を占めるようになるのだそうだ。持ち主が不明な土地が増加すると、空き家にできたスズメバチの巣が駆除できず、空き家のスズメバチに刺されてしまうというものだ。このように、トピックを見ただけでは理解できないが、読み進めていくとどういうことなのかが理解できるようになっており、「なるほど」と分かっていくのがとても面白かった。他にも読者の興味を引くようなトピックが色々書いてあるので、ぜひ「どういうことだろう?」と思ったものから読んでみてほしい。
 少子高齢化は少しずつ進んでいき、日本の年間出生数は、2016年は、約97万人となり、統計開始以来初めて100万人を切ったそうだ。そして2043年には、総人口の7人に1人が80歳以上という超高齢化社会が待ち受けている。この本で示されている様々なデータを見ると、少子高齢化の影響はもう既に私たちの生活の様々な側面に徐々に表れている。現在の政府の対策のみでは、今後日本の社会に深刻な影響を及ぼすだろう。筆者は、将来の日本を見据え、これまでの考え方や価値観を変え、少子高齢化社会に合った社会の仕組みを作っていかなければならないと述べている。この本を読んで、私はこのままでは日本は衰退の一途を辿り、崩壊する可能性があることを知った。最悪の未来を防ぐために、少子高齢化でどのようなことが起こるのかを知り、私たちがどう行動すれば良いのかを、この本を読んで少しでも多くの人に知ってもらいたい。

 

審査委員による講評

法学部准教授 甲斐 朋香

この本を今、私たちが読むべき理由は何か、冷静な筆致で伝えています。一方においては、来るべき人口減少社会はやり方次第ではさほどマイナスにはならない、という見方もあるようです。機会があれば、また違う角度から同じ現象を分析した専門家の見解にも触れてみてください。

全体講評

審査委員長 薬学部准教授 奈良 敏文

応募総数26件、色々なジャンルの書籍を題材にした作品の応募となりました。選考では、書籍の見所や応募者の興味、共感がどう表現されているか、そして私自身が惹きつけられるかの観点から審査させて頂きました。今回の応募作品は淡々と書かれたものが多く、読者として伝えたい心の動きや見所をもっと強く表現できると良いと感じました。選考委員会としては表現の追求を更に推奨したく、本年度の最優秀は該当せずとなりました。一方、書評として一定のレベルに達する作品はむしろ多数あり、奨励の意味を込めて優秀作2点、佳作5点の最大数を入選としました。ここに挙がらなかった7作品にも、次点相当の評価があったことを付記させて頂きます。次回、更に多くの作品の応募を期待しています。

表彰式

2022年12月15日(木曜日)12時00分から東本館7階会議室1にて、第22回松山大学図書館書評賞表彰式を開催しました。なお、出席者は検温し、座席の間隔も十分に空け、マスク着用、換気、3密を考慮し執り行われました。
 同図書館書評賞は教育活動の一環として、(1)学生の読書推進、(2)論理的文章を書く能力の養成、(3)文化・知的空間として大学を活性化させることを目的に、平成13年度から始まった制度で、今回は26篇(23名)の応募の中から優秀書評賞2篇、佳作5篇が選ばれました。


 表彰式では、新井英夫学長から受賞者一人ひとりに表彰状と副賞が手渡され、「本を読むとは”自分を新たにすること”、本との出会いを大切にしていただければと思います」との祝辞が贈られました。続いて、中村雅人図書館長は「これからも本学の図書館を積極的に利用し、本学の読書推進のけん引役となってください」と激励しました。その後、審査委員より受賞者に向けて、各受賞作の講評が述べられました。

※学生は平服での出席、記念撮影時のみマスクを外しております。

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